当館は、下記の通り年末年始休館をいたします。
◇日程:平成26年12月26日(金)~平成27年1月4日(日)
平成27年1月5日(月)からは通常通りの開館となります。ご迷惑をお掛けし誠に申し訳ございませんが、ご了承いただきますようお願い申し上げます。

当館は、下記の通り年末年始休館をいたします。
◇日程:平成26年12月26日(金)~平成27年1月4日(日)
平成27年1月5日(月)からは通常通りの開館となります。ご迷惑をお掛けし誠に申し訳ございませんが、ご了承いただきますようお願い申し上げます。
本日より「寺尾作次郎展」を開催しております。
作品の制作のみならず、鹿児島県工業試験場における薩摩焼の研究など 鹿児島の陶芸界に大きな功績を残した寺尾作次郎氏。逝去されて30年という節目の今年,当館所蔵の作品を全て展示致します。
【 寺尾作次郎(てらおさくじろう)】
明治31年福岡県生まれ。和田三造,河井寛次郎に師事。
陶芸で個展を開く一方,染色で商工展で連続受賞し無鑑査となり,
紀元2600年奉祝美術展覧会(日展)では染色招待出品する。
昭和15年より鹿児島県工業試験場窯業部長に迎えられ、薩摩焼の研究と振興に尽くす。
鹿児島県文化財専門委員や鹿児島美術協会副会長,南日本美術展審査員を歴任し,鹿児島の陶芸界の発展に尽力され、勲五等瑞宝章,南日本文科賞を受賞。
三重県四日市市カク本輸出製陶株式会社の技術部長を務めた後,
昭和43年に鹿児島市紫原に工房を開き晩年まで制作に打ち込む。
伝統を踏まえながら現代的な感覚の親しみやすい作品を多く手がけた。
会期:平成26年10月30日(木)~平成27年3月24日(火)
会場:1階焼き物展示室(一部)と2階絵画展示室(一部)
*会期中 一部展示替えをいたします。
明日10月26日(日)は、スタッフ研修の為、カフェ・トワメゾンの営業をお休みさせていただきます。ご迷惑をお掛けし誠に申し訳ございませんが、ご了承下さいますようお願い申し上げます。
尚、ベーカリー・トワメゾンは定休日につき休業となります。 三宅美術館は通常通り開館いたします。
10月13日(月・祝)は台風接近による天候不良の為、臨時休館とさせていただきます。
ご迷惑をお掛けいたしますがご理解、ご了承いただきますようお願いいたします。
本日は台風18号接近による天候不良のため
臨時休館とさせていただきます。
ご迷惑をおかけいたしますが、ご了承のほど
よろしくお願いもうしあげます。
以前 谷山の清泉寺跡に,ここで自害した垂水島津家の島津久章の五輪塔の墓があり,
地元では「大和さぁ」とよばれ疱瘡の神様として親しまれている,とご紹介しました。

なぜ久章公が疱瘡の神様として評判になったのか
南日本新聞(昭和38年4月8日付)に記載されていました。
「久章は1.8m近い大兵で、力も強かった。いい伝えによると、幼少のころ疱瘡を患い
顔一面のあばたで容姿怪異、見るからにどうもうな顔つきで、
久章の名を聞いただけで泣く子もだまるとさえいわれ、
お世辞にも色男という顔ではなかった。-省略-
そのことが後年大和さんにお参りすると疱瘡にかからない、
またかかっても軽いといわれ、南薩で非常に評判になって
“ほそん神さぁ”とあがめるようになった。」のだそうです。
この疱瘡の神様「大和さぁ」の評判は遠く指宿まで届いていたようで
「今和泉郷岩本村に大和神社があり、祭神は島津大和守久章で疱瘡の祈願に霊験がある
とされている。同神社の境内に「府学助教宮下希賢、明和九年重建、岩本村大和大明神」 と石碑に漢文で詳しくしるされている。」(谷山市誌)とのこと。
また,
「天明年中、全国的に疱瘡が流行、人々は大いに困った。そのころ指宿市今和泉町では
「なんとかこの厄病からまぬがれよう」と、谷山の大和さんを同町□□神社の境内に
勧請したところ、非常にご利やくがあったと伝えられ、いまのその石碑が残っている」(南日本新聞 昭和38年4月8日付)とあるので
今も残っているのでは,と探してみることにしました。
大和さぁが勧請された大和大明神祠は三国名勝図会によると
「領主館より辰の方九町余、岩本村にあり祭神 公室支族島津大和久章の霊を崇む」
とありますが、すでに大和大明神は現存していないので,
地元の方にお話を伺いながら探しました。
(ご協力いただきありがとうございました)
すると,現在 大和さぁ勧請の石碑は,豊玉姫神社の境内にありました。
社殿の裏の方にひっそりと建っています。


碑文は正面と後ろはかなり風化していましたが,左右面はほぼ解読できそうです。



指宿の方々でも大和さぁ(久章公)が疱瘡の神様として勧請されてきた事実や
石碑が豊玉姫神社にあることをご存じの方はほどんといませんでした。
医学が進歩して神頼みをする必要が無くなったおかげで,
大和さぁもお役御免となって久しいのでしょう。
谷山でも昭和30年代までは疱瘡踊りが残っていましたが,
現在はすっかりなくなってしまいました。
ちなみに谷山の疱瘡踊りは
「服装は長着物、帯、白足袋、草履、手ぬぐい、右手に扇、御幣を持ち、
唄も踊りもゆるやかで優雅である。人数は二十数人、囃子は太鼓と三味線」
(谷山の歴史と文化)だったそうです。
唄の歌詞は以下のとおり
今年しやヨイヨイ サーヨイ年 おほそがはやる イヤかるいとかるいとな
おほそ神さんな おどいすきでござる イヤかるいとかるいとな
おどいおどれば おほそもかるい イヤかるいとかるいとな
稲の出穂よりも 見事にそろた イヤかるいとかるいとな
シメもおろさず も払いもいらず イヤかるいとかるいとな
さやが三尺 しげおが二丈 イヤかるいとかるいとな