金城次郎展 最終日でした

本日は「金城次郎展」の最終日でした。
金城次郎は沖縄の陶芸家で,沖縄初の重要無形文化財保持者(人間国宝)です。
隣県ということもあるのでしょうか
雨にもかかわらず,最終日だからと足を運んで下さる方が多くて
鹿児島には金城次郎のファンが多いということを改めて実感しました。
ありがとうございました。

4月4日(木)は薩摩焼の香炉・香合を展示いたします。

*)明日3日(水)は休館日です

前畑省三氏『巴里展Part3』画集

前畑省三氏(独立美術協会会員)の画集『巴里展Part3』を
当館でご購入いただけるようになりました。
ご購入ご希望の方は受付にお声をかけて下さい。

前畑省三『巴里展Part3』¥800

今日の事件簿

午前中の静かな美術館に,突然ドーンと大きな音が響きました。

車か何かが壁にぶつかったのだと思いエントランスへ向うと
ガラスの向こうに何か動くものが…

なんと,大きな音の正体はガラスに衝突してきたツグミでした!
音の大きさからするとかなりの衝撃だったと思われますが
まだ少し動いていたので,しばらく様子を見ることにしました。

口から血を流しているし動きも弱くなってきたので「もうダメかも…」
「どこに埋めてあげようか」などと話しているうちに
ツグミは1時間ほどで起き上がり,
それからほどなくして飛び去っていきました。

野生動物の生命力ってすごいですね。
あれからトンビや猫に襲われていなければいいのですが…。

太郎太郎踊り、次郎次郎踊り

太郎太郎踊り
【開催地】 薩摩川内市高江町 南方神社
【指 定】 県指定無形民俗文化財
【開催日時】平成25年3月3日(日) 10:00

次郎次郎踊り
【開催地】 薩摩川内市久見町 諏訪神社
【開催日時】平成25年3月3日(日) 13:30

次郎次郎踊り
【開催地】 薩摩川内市水引町 射勝神社
【指 定】 薩摩川内市指定無形民俗文化財
【開催日時】平成25年3月3日(日) 13:50

薩摩川内市へ五穀豊穣と安産祈願のお祭り
「太郎太郎踊り」と「次郎次郎踊り」を見てきました。

3月3日に開催されたのは
高江町南方神社の「太郎太郎踊り」(鹿児島県指定無形民俗文化財)
久見町諏訪神社の「次郎次郎踊り」
水引町射勝(いすぐる)神社の「次郎次郎踊り」(薩摩川内市指定無形民俗文化財)です。

太郎太郎も次郎次郎も最初に神事が執り行われ
その後テチョ(父親)と息子が「うしょひいてけー」(牛を連れてこい)と掛けあいながら
田打ちと出産の喜劇を半分即興で演じます。

最後は籾種を撒き、それを頂いて帰る、
というのが大体の流れですが、それぞれ少しずつ違いがありました。

高江町南方神社の「太郎太郎踊り」は
地元の小学5〜6年生が田打ちの演じ、その後
オンジョ(祖父)とテチョ(父)と太郎(息子)と牛が登場。
なぜか最後に太郎が子供を産みます。
最後に籾種に見立てた玄米を神主さんが撒きます。

久見町諏訪神社の「次郎次郎踊り」は
オンジョではなくカカァ(母)が登場します。
子供はカカァが産み
最後に登場した演者たちが紅白の煎粉餅(いこもち)を撒きます。

水引町射勝神社の「次郎次郎踊り」は
地元小学生が葉のついた木枝で害虫を追い出すしぐさをします。
登場人物は、テチョ、牛、ハナドイ(牛の鼻もち)、モガオシ(牛の鋤押し)、ヨメジョ(嫁)。
終始無言で行われ、登場人物は白手拭いで覆面をしているのが特徴です。
男たちは観衆を害虫に見立て「トッゴロ」(火のついた丸太)で追い払います。
覆面の男がトッゴロを抱えて無言で追いかけてくるので、
大人でもちょっと怖いです…。
最後はヨメジョが出産し、籾種と落花生が撒かれます。

3月17日(日)には
いちき串木野市の羽島神社で太郎太郎踊りが奉納されるそうです。

石敢当

写真の石塔は「石敢当」(せっかんとう)といって
丁字路の突き当たりに立てられているものです。

邪気は障害物を飛び越えて真っすぐ進んで来ると信じられていて
塀を超えて家に飛び込んで来ないよう
邪気を左右に散らす‘魔よけ’として立てられるものです。

これは中国から来た風習のようで、沖縄と鹿児島に多く見られます。
本当に僅かではありますが全国で確認されていて
「石敢当」(1999年 小玉正任 著)によると
函館市高丘町のものが北限だそうです。

ここ谷山の麓辻之堂地区では
今でも丁字路の突き当たりに新築するお宅は石敢当を新設します。
形は台座がある自立式のものと塀にはめ込むタイプがあります。

区画整理で年々道路が新しくなっているので
残念ながら古い石敢当はどんどん姿を消してしまっています。

「石敢當の現況」(昭和58年 松田誠 著)によると
谷山小学校正門から当館の方(北)へ向って200mほど進んだ右手に
存在が確認されているのですが、現在その場所は駐車場となっており
すでに石敢当は撤去されています。

ちなみに、JR谷山駅近くの石敢当(画像の下段左)には「石散當」と刻まれています。

永田橋谷山駅

ここは永田橋から谷山駅方面を望んだ景色です。

この辺りは谷山街道(指宿街道)と伊作街道の合流地点という場所柄
昭和30年代までは馬屋、荷馬車屋、馬蹄屋、鍛冶屋の並ぶ通りでした。

永田川で馬を洗ったり、馬蹄を交換したり、
荷馬車で山から木材や野菜を運んで来て
谷山駅で列車に積み込んだりと、ずい分と賑わっていたようです。

当時の様子が偲ばれる馬小屋が今も残っています。

これは永田橋から川沿いにJR谷山駅へ向う途中にある春日神社。
2本の巨木は樹齢150年のクスノキと樹齢100年のタブノキで
市の景観重要樹木に指定されています。

この辺りもJR指宿枕崎線の谷山慈眼寺の高架工事に伴い
日々景観が変わっているので、そろそろ見納めかもしれません。

ちなみに永田橋は新しくなる前は太鼓橋だったので
女性が引く荷車はなかなか登れなかったそう。
そこで、近所の子供たちは荷馬車を押す手伝いをして
野菜や果物を駄賃として貰っていたのだそうです。
たくましい!

遠見遮断

谷山小学校と谷山支所の慈眼寺方面側(国道と反対側)にある交差点は
東西と南北の二重のクランクになっていて非常に通り辛く
離合する車の運転手は皆ピリピリです。

実はこの道、「遠見遮断」といって
わざとクランクにして遠くが見通せないよう作られた道なんです。

その昔、谷山小学校は谷山地頭館(地頭仮屋)で
谷山支所の前は仮屋馬場でした。
谷山の心臓部だったため、簡単に見通せたり
馬で一直線に攻め入ってこられないように工夫された道だったんですね。

そういう事実を知ると、ここが通り辛くて当たり前。
むしろ通り辛さを楽しみたくなります。

しかし…
この通りは小学生の通学に危険が伴うため、
近々拡張され、遠見遮断の跡は姿を消します。

車社会となった現代、子供たちの危険を考えると仕方がないことです。
今のうちに通り辛さを楽しんでみて下さい。

石垣群の里 大当

ここは南さつま市笠沙町片浦の大当(おおとう または うと)地区です。

100万個(石碑によると)の石が積み上げられた石垣群地区で
「にほんの里100選」にも選ばれています。

笠沙、坊津の海岸線は複雑に入り組んだリアス式で
海沿いに浜はほとんどが切り立った斜面で平地が少ないため
このように石垣を組んで住居を斜面に沿って上へ上へと造っていったのでしょうか。
それとも防風のために築いたのでしょうか。

過疎化、高齢化が進んでいますが今でもお住まいになっている方がいらっしゃって、
かなりの急勾配をご年配の方がゆっくりゆっくり登っていかれます。

今でこそ道はアスファルトになっていますが昔は階段も道も石畳だったそうです。

印象に残っているのは梅の花。
誰かがお住まいの庭先にも、
誰もいない住居跡や空地にも梅の木が1本ずつあり
主のいない場所で今でも変わらず咲き続けています。
きっとこの集落では梅の花を眺めて春の訪れを感じていたんだろうなァ
と当時の生活に想いを馳せてしまいました。