講演会のお知らせ

東日本大震災の被災地では、現在も医療支援や生活支援、子供たちの教育・精神面支援など、多層的で多面的な支援活動が展開されています。
被災地の実情を把握し、継続して被災地の支援を行うため、実際に現地で活動した組織やグループ、個人の災害支援状況の講演会が鹿児島大学で開催されます。

開催日時:平成24年2月10日(金)10:00〜12:00
場  所:鹿児島大学共通教育棟3号館331号教室
対象者:災害支援活動や防災に関心のある方

聴講を希望される方はEmailにて氏名・所属・連絡先の住所・電話番号およびメールアドレスを記入の上nisi24@fish.kagoshima-u.ac.jp(鹿児島大学水産学部 西隆一郎教授)へお申し込み下さい。
今後予想される大規模災害に社会市民として対応するために、貴重な機会ですので、お時間のゆるす方はぜひ聴講してみて下さい。
鹿児島大学キャンパスマップ

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焼物展示室企画展:「龍の焼き物」展

龍の焼き物展

1階焼き物展示室では、今年の干支にちなんで「龍」が施された焼き物を7点展示してみました。

雲龍文花瓶(三代長太郎流石氏)
貼付龍文壷(琉球焼)
壺屋雲龍文急須(琉球焼)
無地龍文香炉(白薩摩)
無地龍巻花生一対(白薩摩)
染付龍文双耳花瓶(平佐焼)
※苗代川焼のコーナーに黒釉貼付龍文半胴甕を展示ししています。


焼物展示室企画展:「龍の焼き物」展
開催日時:平成24年4月2日(月)〜7月8日(日)

「独立美術協会員の作品展」

独立美術協会員の作品展

さて、年明け最初の企画展は「独立美術協会員の作品展」です。
独立美術協会は、佐伯祐三、前田寛治、を中心とする協会展が発端となり、1930年に創立されました。
創立会員は伊藤廉、川口軌外、小島善太郎、児島善三郎、里見勝蔵、清水登之、鈴木亜夫、鈴木保徳、高畠達四郎、中山巍、林重義、林武、福沢一郎、三好光太郎の14人。
既成の画壇からの独立を唱え、創造的な政策と活発な活動で近代洋画の新たな発展を加速させました。協会には海老原喜之助、中間冊夫、堀之内一誠をはじめ、精力的に活躍中の前畑省三といった郷土出身作家も多く在籍しており、鹿児島には最も所縁深く馴染み深い団体の一つといってよいのではないでしょうか。
1931年東京府美術館での第一回独立展以来、毎年開催される独立展では須田国太郎、小林和作、野口弥太郎、鳥海青児など、近代美術史に輝く画家を多く輩出してきました。
そして、本年は80回記念展開催という節目の年を迎えます。(1945年、1946年は未開催) 
本企画展では、収蔵作品の中から独立美術協会員の作品を一同に展示いたします。独立美術協会の歴史と精神を作品を通してご覧ください。


「独立美術協会員の作品展」
開催期間:2012年1月5日(木)〜3月27日(火)

テレビで紹介されました

鹿児島地域で本日放送された『開運 なんでも鑑定団』で、海老原喜之助氏の参考絵画として当館収蔵作品の『スケート』が紹介されました。 この作品は、現在開催中の当館企画展『海老原喜之助展』のポスターにも掲載している作品です。 『エビハラ・ブルー』のシリーズの中でもとても人気があるこの作品。画像では分かりづらいかと思いますが、雪景色の中にたくさんの人物や木々が細かく描かれています。スケートを披露する人、それを眺める人、スキーで山間を駆ける人・・・

限られた色数でありながら、詩情豊かに冬の一日が描かれた作品です。絵画展示室にて展示中ですので是非、皆さんの目で細かな筆致や清々しいエビハラ・ブルーをご覧になって下さい。

海老原喜之助展

坊津の十二冠女

【開催地】南さつま市坊津町 八坂神社
【開催日】平成23年10月16日

10月16日は坊津の八坂神社の「ほぜどん」(豊祭)を見に行きました。

ほぜどんの浜下りは午後からなので
午前中は坊津やまびこ会開催の「坊津まち歩き」に参加。
この日は第15回目で「坊津と戦国の三傑の信長、秀吉、家康を歩こう」というテーマでした。


9時に輝津館をスタートして3時間じっくり解説を聞きながら坊津の史跡を巡り
最後は海を見ながら坊津団子やキビナゴの一夜干しなどを頂いて解散。
当日は見事な秋晴れで、歩きながら眼下に広がる澄んだ海に何度飛び込みたいと思った事か!

さて、ほぜどんですが、運動会みたいに午後1時半の花火の合図で始まりました。
港町で豊漁を祝う祭りでもあり、昔は遠方に出ていたカツオ漁船もこのほぜどんのために
わざわざ帰港してきたそうです

浜下りは坊津の3地区が持ち回りで、今年は上之坊地区担当とのこと。
前泊した上之坊の公民館から御神体が八坂神社に還ります。
行列の先頭には赤と黒のメンドンが先払いで歩いてきます。
各地区赤黒1匹づつで計6匹。
手に棒を持っていて子供たちのお尻をピシリと…
昔は叩いていたそうですが、今は当てるだけでした。

地元の女の子が「赤メンドンは怖くないけど、黒メンドンは怖い」と教えてくれましたが
結局子どもたちは赤黒問わず怖がって逃げ惑っていました。

メンドンと一緒に獅子舞もやってきます。
各地区から1頭づつで計3頭。
容赦なくかみつくので子供たちは本気で逃げていました。

その後から十二冠女が歩いてきます。
坊八坂神社のほぜどんは「十二冠女」と呼ばれていますが
この女の子たちのことです。
頭に載せている桶には沿道からお賽銭が入れられます。
昔は12歳の女の子が12人歩いたそうですが、今年は少子化で7人でした。

十二冠女の後から太鼓と笛が続きます。
中学生が1ヶ月前から練習するそうです。

それから神主さんや総代の皆さんの神輿がつづきます。
スーツでビシッときめて神輿を引く総代の皆さんは近寄りがたい風格がありました。

このほぜどん、使用される旗や鉾などは全て京都の八坂神社からの御下がりで、
昔は大人も子供も正装で参列していたそうです。


地元の方は「最近は正装をしない人が増えた」とおっしゃっていましたが
ヨチヨチ歩きの女の子は頑張って着物で歩いていましたし


メンドンに泣かされてる男の子はネクタイをしていました。


室町時代からづつくと言われる‘ハレ’姿の行列は、南国らしからぬ雅な雰囲気でした。

「薩摩人の祈り-廃仏毀釈」

慈眼寺公園の隣にある ふるさと考古歴史館
特別企画展「薩摩人の祈り廃仏毀釈」が開催されています。

廃仏毀釈は明治に神仏分離の名の下に行われた破壊行為や弾圧のことで、
ここ鹿児島では最も激しく行われたといわれています。
7年の間に全ての寺院が廃寺となり、僧侶も1人残らず還俗させられたそうです。

この企画展では鹿児島での廃仏毀釈に関する資料や、激しく破壊された仏像や仏具、
地域や個人で密かに守り続けられてきた仏像などが展示されています。

10月は鹿児島の3大行事の一つ「妙円寺詣り」がありますね。
これも廃仏毀釈の影響がみられる行事です。

関ヶ原の戦いで敵中突破をして帰鹿した島津義弘公とその軍勢の苦難をしのんで
伊集院の「徳重神社」に詣りますが…

「妙円寺詣り」なのに「徳重神社」?これって不思議に思った事ありませんか?

現在、島津義弘公は徳重神社で祀られていますが、
もともと徳重神社のある場所に妙円寺という義弘公の菩提寺がありました。

しかし、廃仏毀釈によって妙円寺は廃寺となり現在の徳重神社が創祀され、
妙円寺詣りにもかかわらず今でも徳重神社に詣っているんですね。

妙円寺は再興され、徳重神社のすぐそばに現存していますので、
妙円寺詣りに出向かれる際は、「妙円寺」にも足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

知覧町中福良の「ソラヨイ」

 

【開催日】平成23年9月12日
【開催地】知覧町立中福良小学校
【指 定】国指定無形民俗文化財「南薩摩の十五夜行事」
     県指定無形民俗文化財「知覧の十五夜そらよい」

知覧町永里中福良地区で十五夜行事「ソラヨイ」が行われました。

ソラヨイ会場の中福良小学校です。
十五夜のお供えは栗と親芋,すすきと萩でした。
臼と箕の間にすすきを横にして挟んでありました。

以前は20数カ所で開催されていたそうですが、
現在は知覧町の中部地区の4〜5カ所で伝承されているのみだそうです。
中でも中福良のソラヨイは古来の姿を一番残しているということで大勢の見物人がいました。

ソラヨイに参加するのはそもそも小学校高学年の男の子らしいのですが
少子化のあおりを受け今年は5歳から13歳までの男の子10人が参加していました。
子供たちは、褌、腰蓑、円錐形の笠の3点セットで扮し
年齢の若い子は褌とシンプルな笠だけ。
その上の子は褌と輪っかのついた笠。
さらにその上になると腰蓑が付き、笠の縁からは垂れ下りが付き
年が上がるほど笠の輪っかの数が増えます。

子どもたちは神事を終えると集落に行事の開催をふれて練り歩き
月が登り始めるとソラヨイが始まります。

先ずは円陣の中央となる、まるで藁積みのような笠が出てきます。

中には子供が入っていて(声から察すると13歳以上の男の子らしい)
傘の柄のようになている芯棒を時計回りに回します。
そうすると子どもたちが出てきて笠を囲み
歌いながら笠と反対まわりに回ります。

「今夜来んと、明日の晩な、麦藁三把、松明五丁、ホーイホイ」と歌っているそうです。
そして「ソラヨイ、ソラヨイ、ソラヨイヨイヨイ」
の掛け声で相撲の四股のように足を踏みならすことを繰り返します。

それから「ナカヨイ、ナカヨイ、ナカヨイヨイヨイ」で笠に近づき
「ソトヨイ、ソトヨイ、ソトヨイヨイヨイ」で元の円陣に戻る
を繰り返し、最後には笠を壊して倒し、退場です。

お囃子などは一切なく、真っ暗闇の中、
月明かりに照らされた子どもたちの姿はとても神秘的で
どこか異空間へ連れて行かれた気分になりました。

市来の七夕踊「太鼓踊」

【開催地】いちき串木野市大里地区
【開催日】平成23年8月7日
【指 定】国指定無形民俗文化財「市来の七夕踊」

市来の七夕踊「つくいもん」からの続きです。
「つくいもん」が登場した後は琉球王行列です。
義弘公の活躍を祝って貢物を持って来る時の様子だそうです。

琉球王行列の次は大名行列。参勤交代の様子を表しているそうです。

その次は薙刀行列。
この七夕踊りのメインである太鼓踊りの前払い、後払いの役目です。
薙刀行列は3つの地区で、それぞれ恰好も踊りも違い、
この地区は頭に毛笠を付けています。

そして、最後に市来の七夕踊りのメイン「太鼓踊り」です。


つくいもんが珍しく迫力があるので、ついそちらがメインだと思いがちですが、
つくいもんはあくまでも太鼓踊りの余興です。
頭には美しい花笠を付け、提灯を中心に円陣を組んで踊ります。


至近距離で人が群がっていますが、これは…


踊り手の「仰ぎ隊」です。


皆手に手に団扇を持ち、炎天下で踊りを奉納する踊り手に風を送っているのです。

この祭りで一番印象的だったのは、裏方さんも見学者も、
この祭りにかかわっている人たち皆が七夕踊りを誇りに思っていて
地域一体となって参加していることです。

数名の方にお話を伺うことができましたが
皆さん子供のころの話やこの祭りへの想いを熱く語ってくださり
このような祭りが身近にあることが羨ましくなりました。
昨年は口蹄疫で開催できなかったとのこと…。
きっと今年の七夕踊りには、思いもひとしおだったのでしょうね。

市来の七夕踊「つくいもん」

【開催地】いちき串木野市大里地区
【開催日】平成23年8月7日
【指 定】国指定無形民俗文化財「市来の七夕踊」

8月7日(日)いちき串木野市大里地区で「市来の七夕踊」が開催されました。
これは、島津義弘公の朝鮮の役での活躍を記念して踊られた事と、
大里地区の開田の祝いが始まりで、今年で326回目になるそうです。
鶴ヶ丘八幡神社で太鼓踊りが奉納された後
3つの地区で七夕踊りが披露されます。

何と言っても市来の七夕踊りといえば、先ずこの「つくいもん」です。
つくいもん(大きな張り子の作りもの)は、鹿、虎、牛、鶴の順に現れます。
骨組みは青竹、顔の部分は紙を張り、背は布で覆い、シュロで飾り、
腹の部分には山ブドウを半分乾燥させたものを下げています。
山ブドウは香りがよい、という理由で昔から使用しているそうで
地元の方たちは良い山ブドウがどこに生えているか
日頃から目を付けているそうです。

まず現れるのは鹿。
鹿は3人の鉄砲を持ったシカトイ(鹿捕り)と現れます。

鹿らしい躍動感のある動きや
シカトイに撃たれて仕留められるまでをユーモラスに表現します。
この鹿の中には4人の青年が入っていて、一糸乱れぬ足さばきです。

この日、鹿は川まで追い込まれていました。

次に現れる虎は鹿よりも大きく、中には8人、トラトイ(虎捕り)が4人です。

かなりの迫力で子供たちは逃げ回っていました。
中の様子が分かるでしょうか。
口を開けたり、舌を動かしたり、頭を担当している人はとても忙しそうです。

そして、つくいもんの中で一番大きな牛は総勢16人で担いでいます。

前後にウシツケ(牛使い)が1人づついます。


ウシツケの掛け声に合わせてつくいもんは前後に移動します。
牛が前かがみになる動作、重たそうです。


最後は鶴です。


餌撒きが先導し、後ろには鷹狩りの武士がついています。


この日は台風9号の影響で風が強く向かい風に悪戦苦闘しているようでしたが
餌の籾殻をついばんだり、羽をばたつかせたり
細かい仕草が丁寧に表現されていました。


最初に鶴が稲穂を運んできた、という伝説に基づいて
くちばしに稲穂をくわえています。
鶴の首の色をはじめ、つくいもんに使用している赤の彩色は
全てベンガラを使用しているそうです。


さて、つくいもんの次は琉球王行列がやってきます。
それはまた、次回ご紹介しますね。