南薩摩の十五夜行事「上ノ坊の火とぼし」


【開催地】南さつま市坊津町上ノ坊地区 坂之上、上ノ坊公民館
【開催日】毎年旧暦8月15日 午後7時頃
【指 定】国指定重要無形民俗文化財「南薩摩の十五夜行事」

9月15日南薩摩の十五夜行事の一つ「火とぼし」が行われました。
本来は十三夜から十五夜までの3日間行われるものだそうですが
現在は人手不足のため十三夜だけになったそうです。


夕方から茅とダンチク(上ノ坊では‘ダレッガヤ’という)で
「バンガヤ」と呼ばれるものを作り、集落の道端へ置いていきます。
子供用と大人用があり、大人用は200キロはある、らしいです。

日が暮れると火とぼしが始まります。
場所は坂之上の呼ばれる集落と海が一望できる高台です。

火とぼしで使用する松明は、ダンチクを半分に割って寄せたものに火点け用の枯葉を詰め、
茅で練った縄でしばります。
神様の注連縄が左巻きなので、ここで使う縄は右巻きに作るのが決まりだそうです。

現在は集落の大人たちが松明を回していますが、
本来は‘大人’に昇格した15歳を含めた青年の役目。


14歳以下は椿の枝を持って、降り散る火の粉の消火隊です。
昔は14歳の中から1人だけ火とぼしが許されたそうで、
選ばれた14歳は鼻高々だったそうです。

火を回しながら
「十四は甘かで(半人前だから)火をまわせ」「火は見えたかー」と唄います。
この歌は「十四は甘かで塩まぶせ」という歌詞もあったので、
今年から「火をまわせ」に統一したそうです。
こういう唄は文字でなく口伝なので、少しずつ変化していくのでしょうね。

火とぼしが終わると、先ずは14歳以下の子供たちが唄いながら
子供用のバンガヤを担いで坂を下ります。

その後大人たちが大きなバンガヤを4〜5人で担ぎ、
上ノ坊公民館までの坂をバンガヤを担いで一気に登るのがクライマックスです。

本来このバンガヤは還暦を迎えた男性が担ぐらしいのですが、今年は男性が足りなく、
この行事が始まって以来初めて女性が加わっていました。

時代とともに祭りの形態は少しずつ変わっているようですが、
今後も伝承者が絶えない事を祈ります。

余談ですが、
以前この十五夜行事の中には15歳以上の青年に唄い継いだ歌がいくつかあったそうですが、
その内容は、いわゆる大人の仲間入りをした男の子への性教育なので、
最近は父兄からの苦情により伝承を止めたそうです。
昔の15歳が残念そうに話してくれました。

 

「抽象的なかたち」展-Don’t think. Feel !

具象画だけど、デフォルメされていて ちょっと不思議な形をしている。
「抽象画」とまではいかないけれど、抽象的なかたちの作品を展示してみました。
作品を前にタイトルと見比べても考えてもよくわからない…。
そんな時は考えずに感じて下さい。
Don’t think.Feel !


抽象的なかたち 展

【開催期間】2013年9月6日(木)〜11月25日(月)
【開館時間】午前10時〜午後4時30分
【 休館日 】水曜日(祝日の場合は翌日)

歴代長太郎展

初代長太郎(有山長太郎)は明治32年,当谷山の地に開窯しました。
島津家御庭焼の上絵師 郡山喜納太(静遊庵)に入門。
その後,平佐焼の上絵師 大館利左門や京都の陶工 原田氏のもとで2年修行をし,
成形・釉薬の調合と施薬・焼成・薪の差し方など身につけました。
鹿児島に戻ってからは御庭焼研究所で古薩摩・錦手の研究に没頭しますが
黒薩摩によって新境地を開き,独自の焼き物を創造しようと研究所を辞職。
資金難で苦しみながらも思考錯誤を繰り返し,大正9年理想とする作品を焼きあげました。
その独特の焼き物は黒田清輝画伯によって「長太郎焼」と命名され
以後 昭和天皇の御大礼奉祝,秩父宮殿下の御成婚,アメリカ大統領へ献上し,
日本内外から認められる作家となりました。
昭和15年69歳で亡くなってからは,
二代目長太郎正夫,三代長太郎流石,四代長太郎長佑,清泉寺長太郎明宏,指宿長太郎禮石
が長太郎焼の焔を受けついでいます。


会期中、下記の通り展示替えを行います。

◆平成25年9月5日(木)〜10月29日(火)
   初代長太郎・二代長太郎正夫 

◆平成25年10月31日(木)〜12月24日(火)
三代長太郎流石 

◆平成26年1月4日(土)〜2月17日(月)
四代長太郎長佑
清泉寺長太郎明宏
指宿長太郎禮石

ヨッカブイ(高橋十八度踊り)


【開催地】南さつま市金峰町高橋地区 玉手神社
【開催日】毎年8月22日 午前9時頃
【指 定】国選択無形民俗文化財「ヨッカブイ」
     南さつま市指定無形民俗文化財「高橋十八度踊り」

8月22日南さつま市の金峰町高橋地区で、水難除けの祭り「ヨッカブイ」が開催されました。
この変わった名前は「夜着被り」が転じたそうです。

4〜6歳の男の子が扮する小ガラッパ(小河童)が高橋公民館から玉手神社まで練り歩き、そのおはやしとして地域の青年が夜着をまとい、シュロで頭を覆った大ガラッパ(河童)に扮します。

大ガラッパは手に持った笹で人々の頭を撫で水難を祓います。
子供たちは大ガラッパによって穀物袋に入れられ、玉手神社の水神前にある土俵まで持っていかれてしまいます。(時には小柄な大人も!)
悪い事をしないよう諭しているのだそうです。

神社では子供の悲鳴と泣き声、大人の笑い声が響き渡る中ガラッパ相撲が奉納され、
最後に大ガラッパが十八度踊りを踊ります。

これはヨッカブイが開催される高橋地区にある「矢石」です。
高橋地区の北東にある金峰山と南西にある野間岳は仲が悪く、
時々喧嘩をするらしいのです。
喧嘩をして野間岳が金峰山に向かって投げた矢石は届かず、
ここに落ちて刺さったのだそうです。

どちらも神社の御神体になっている山ですが
意外と大人げなくて、親しみを感じますね。

久見盆踊り【想夫恋】


【開催地】薩摩川内市 久見﨑(慶長征韓碑の広場)
【開催日】毎年8月16日
【指 定】鹿児島県指定無形民俗文化財

8月16日、薩摩川内市の久見﨑(ぐみざき)で「想夫恋」がありました。

「想夫恋」とは、保存会の資料によると、慶長2年(1597)島津義弘は当時の軍港だった久見から朝鮮半島に出陣しましたが、翌年多くの犠牲者を出し引き上げました。その後、義弘の子 家久がこの戦いで戦死した敵、味方双方の霊を慰めるため盛大な慰霊祭を行い、その時地元の未亡人たちが帰らぬ人となった夫たちを悼んで踊ったのが始まりだそうです。

踊り手の女性たちは、頭にお高祖頭巾を被り、浴衣に男物の黒紋付の羽織を着て、背中には脇差を差しています。この羽織と脇差は夫の形見を意味しているそうです。

踊りは哀調を帯びたゆったりとした踊りです。

「想夫恋」
盆の十四日に踊らぬ人は 木蓮尊者の掟に背く
殿のためなら涙は出でぬ 御霊祭りに盆踊り
切って供えし緑の髪は  亡夫も見てたも眉の露
お高祖頭巾に腰巻羽織  少しお顔を見とうござる
先を争うつわもの共が  鉄で固めたこの身体
盆の十四日の夜明けの鐘は あの世この世の扉が開く
寝ては考え起きては想う この身終わるまで君のため

【こどものいる風景展】より「こま」

2階絵画展示室で開催中の「こどものいる風景」展より
森長武雄先生の作品をご紹介いたします。

森長先生の作品は
故郷 徳島で過ごしだ少年時代を
動物や自然、友人と共に和やかに描かれた作品が多く、
時代も場所も違うのに どこか懐かしい気持ちにさせてくれるのです。

本日ご紹介する作品は「こま」

併せてキャンバス裏に記された詩もご紹介いたします。

「こま」
牛の草かりがすんだ
さあ こままわしだ
綱渡しだ
夕映えがまた光った
牛の白い目が
ゆっくりとこちらを向いた

 

ご自由にお取りください

全国各地から送っていだだく企画展のポスター。
どれも素敵なデザインで
開催期間が終わったからと破棄してしまうのはもったいない!
当館では2階資料閲覧コーナーに期間終了済のポスターを置いてあります。
どなたでもお好きなポスターがありましたら、ご自由にお取り下さいね。
割引券なども置いてありますので、
併せてご自由にお取り下さい。

風物詩

当館アプローチにある樹木には、ただ今セミが鈴なりです。
朝から会話が出来ないほどの大きな鳴き声ですが、
そこら中にある抜け殻や羽化したばかりのセミを見つけると
「ひと夏 頑張れ!」と応援したくなります。