当館最寄り駅(JR谷山駅)からのご案内

当館館の最寄り駅〈JR指宿枕崎線谷山駅〉からの徒歩でのルートをご案内します。

JR指宿枕崎線谷山駅の改札口を出たら左へ進みます。

信号を渡らず右へ進んでください。

駅舎に沿って進んで下さい。

高架橋に沿って進みます。

最初の横断歩道を渡って、さらに高架橋下の遊歩道を進みます。
横断歩道には信号がありませんのでお気を付け下さい。

すぐに左側の電柱に「三宅美術館」の看板と「三宅病院」が見えてきますので、左折して下さい。

目の前の三叉路に再び「三宅美術館」の看板が見えてきますので
右に進んでください。

左に見えるのが「三宅美術館」です。
ここまで徒歩で5~6分です。

美術館の入口は隣りの特別養護老人ホーム側にあり少しわかりづらいですが、お間違えのないようお越し下さい。。

本日より通常開館いたします

慣れない降雪、積雪での臨時休館でご迷惑をおかけしましたが、
本日より通常開館いたします。
まだまだ寒さがつづくようですね。
鑑賞後は美術館カフェで温かいココアなどいかがでしょうか。

谷じぃスタンプラリー

谷山ふるさとコミュニティ協議会では
「谷じぃスタンプラリー」が開催されています。
法人サポーターになっている当館も、本日より参加いたします。
スタンプカードの提示で小中学生は全員、引率の保護者は2名まで入館無料!
対象期間は 2025年3月23日(日曜日) までです。
スタンプは受付にお声がけください。
スタンプラリーのご来館、お待ちしています!

2月の開館日程

2月の開館日程です。
引き続き
「素描と版画」展
「平佐のべっ甲と盃台」展
を開催いたします。

寒い日が続きますが、ほっこりする作品で心も温まってくださいね。

平佐焼の盃台

こちらは平佐焼の盃台(はいだい)です。
盃台はお酒を飲む盃を載せる器のことで、
壺状になっているのは
酒を勧められた時に前の残りの酒をこぼすためです。

平佐焼は鹿児島では珍しい磁器の焼物です。
その白い肌に染付で模様が施されているのですが、展示している47個のどれをとっても同じ柄はありません。
中には色絵の盃台もありますので、ぜひお気に入りの1点をみつけて見て下さい。

平佐のべっ甲と盃台

平佐焼(ひらさやき)は安永年間(1772~1781)の平佐九代領主北郷久陣(ほんごうひさつら)の代に旧川内市天辰に創設されたといわれる磁器窯です。最初は染付だけでしたが、向井与藤次が有田の赤絵の技法を習得し、平佐でも赤絵が作られるようになったのが弘化3(1846)年頃といわれています。しかし、昭和16年をもって廃窯となりました。

〈平佐焼のべっ甲釉について〉
「べっ甲釉」という名前は、タイマイ(ウミガメ)の甲羅であるべっ甲に似ていることに由来しています。
慶応元年(1865)に長与焼(長崎県)の画工 青木宗十郎が平佐に招かれ、長与三彩の技術を学んだ向井勘兵衛が導入し、独特の平佐べっ甲が焼かれるようになったといわれています。

〈盃台とは〉
盃台はお酒を飲む盃を載せる器。壺状になっているのは、酒を勧められた時に前の残りの酒をこぼすためです。

無事終了いたしました

昨日をもって「没後40年寺尾作次郎美学の系譜」展は無事終了いたしました。
多くの方にご来場いただき、ありがとうございました。
寺尾作次郎をご存じなかった方。
陶芸家として知っていた方。
記憶の彼方から呼び起こして思い出してくれた方。
多くの方々から嬉しいご感想をいただき、
再び寺尾作次郎ブームが訪れることを心密かに期待しています。

河童像は川内歴史資料館で常設展示されておりますので、
また、そちらにもぜひ足をお運び下さいね。

いよいよ最終日です

いよいよ本日「没後40年寺尾作次郎美学の系譜」展の最終日です。
最後にご紹介するのは河童の作品たち。
旧川内市役所に設置されていた噴水の河童像をはじめ、河童をモチーフとした作品が多く残されています。

寺尾作次郎の出身地、北九州市の若松区は古くから河童伝説が有名で
現在の若松区マスコットも河童です。
若松出身の芥川賞作家・火野葦平の旧邸「河伯洞」も、河童の棲む家という意味だそうです。

河童の徳利と瓜・キュウリの盃

きっと幼い頃から河童が身近な存在だったのでしょう。
どこか憎めない、愛らしい河童たちに会いに来て下さい。