清泉寺跡 2

清泉寺跡を流れる障子川を挟んだ西側にも磨崖仏を見ることが出来ます。

この磨崖仏の下には「在家菩薩」と刻まれています。
高さはおよそ2m。
顔は壊されていますが,日新公(島津忠良)を神格象徴したものといわれています。

その右側にある2mを超える恐ろしい形相の磨崖仏には「妙有大姉」と銘があります。
これは日新公夫人の妙宥大姉と言われています。

この2体の磨崖仏から更に奥に入ると自然石舞台の屋根遺構があります。

地形的に全体像を撮影することが難しかったので
舞台の上から遺構のある壁部分だけ撮影しました。
深い溝や円形と方形の掘りこみがあり、隣接する岩には宝剣の磨崖が残っています。

「仏塵挨箒 拭不浄紙」と刻まれているそうです。

日新公夫妻の磨崖仏の正面には、小川を挟んで阿吽の金剛力士像の磨崖仏があります。
両方とも2m以上あり,驚くことに廃仏毀釈にも壊されることなく
顔もきれいに残っています。

像の間に刻まれている碑文には、今回はよく判読できませんでしたが、
貞享元年申子(1684)四月一五日とあるようです。
また、石工2名の名前「岩長八兵衛、中村長右衛門」と記されているようです。
現在 清泉寺跡側からこの金剛力士像のある場所へ行くには
川を渡る橋が掛っていないため 直接川へ降りて護岸をよじ登らなければなりませんが
力士像のある崖の裏手に小道がありましたので、国道の方から下るルートがあるようです。

清泉寺という名の通り,今でも本尊磨崖仏の下と清泉寺入口東側には
こんこんと泉が湧きあがっています。

水を汲みに来ていた地元の方の話によると
ここの水で焼酎を割るとまろやかで美味くなるそうです。
掘られているのは月輪の中の阿弥陀坐像といわれています。

参考資料:谷山市誌 昭和42年