平佐焼(ひらさやき)は安永年間(1772~1781)の平佐九代領主北郷久陣(ほんごうひさつら)の代に旧川内市天辰に創設されたといわれる磁器窯です。最初は染付だけでしたが、向井与藤次が有田の赤絵の技法を習得し、平佐でも赤絵が作られるようになったのが弘化3(1846)年頃といわれています。
〈平佐焼のべっ甲釉について〉
「べっ甲釉」という名前は、タイマイ(ウミガメ)の甲羅であるべっ甲に似ていることに由来しています。
慶応元年(1865)に長与焼(長崎県)の画工 青木宗十郎が平佐に招かれ、長与三彩の技術を学んだ向井勘兵衛が導入し、独特の平佐べっ甲が焼かれるようになったといわれています。
〈盃台とは〉
盃台はお酒を飲む盃を載せる器。壺状になっているのは、酒を勧められた時に前の残りの酒をこぼすためです。