太郎太郎踊り、次郎次郎踊り

太郎太郎踊り
【開催地】 薩摩川内市高江町 南方神社
【指 定】 県指定無形民俗文化財
【開催日時】平成25年3月3日(日) 10:00

次郎次郎踊り
【開催地】 薩摩川内市久見町 諏訪神社
【開催日時】平成25年3月3日(日) 13:30

次郎次郎踊り
【開催地】 薩摩川内市水引町 射勝神社
【指 定】 薩摩川内市指定無形民俗文化財
【開催日時】平成25年3月3日(日) 13:50

薩摩川内市へ五穀豊穣と安産祈願のお祭り
「太郎太郎踊り」と「次郎次郎踊り」を見てきました。

3月3日に開催されたのは
高江町南方神社の「太郎太郎踊り」(鹿児島県指定無形民俗文化財)
久見町諏訪神社の「次郎次郎踊り」
水引町射勝(いすぐる)神社の「次郎次郎踊り」(薩摩川内市指定無形民俗文化財)です。

太郎太郎も次郎次郎も最初に神事が執り行われ
その後テチョ(父親)と息子が「うしょひいてけー」(牛を連れてこい)と掛けあいながら
田打ちと出産の喜劇を半分即興で演じます。

最後は籾種を撒き、それを頂いて帰る、
というのが大体の流れですが、それぞれ少しずつ違いがありました。

高江町南方神社の「太郎太郎踊り」は
地元の小学5〜6年生が田打ちの演じ、その後
オンジョ(祖父)とテチョ(父)と太郎(息子)と牛が登場。
なぜか最後に太郎が子供を産みます。
最後に籾種に見立てた玄米を神主さんが撒きます。

久見町諏訪神社の「次郎次郎踊り」は
オンジョではなくカカァ(母)が登場します。
子供はカカァが産み
最後に登場した演者たちが紅白の煎粉餅(いこもち)を撒きます。

水引町射勝神社の「次郎次郎踊り」は
地元小学生が葉のついた木枝で害虫を追い出すしぐさをします。
登場人物は、テチョ、牛、ハナドイ(牛の鼻もち)、モガオシ(牛の鋤押し)、ヨメジョ(嫁)。
終始無言で行われ、登場人物は白手拭いで覆面をしているのが特徴です。
男たちは観衆を害虫に見立て「トッゴロ」(火のついた丸太)で追い払います。
覆面の男がトッゴロを抱えて無言で追いかけてくるので、
大人でもちょっと怖いです…。
最後はヨメジョが出産し、籾種と落花生が撒かれます。

3月17日(日)には
いちき串木野市の羽島神社で太郎太郎踊りが奉納されるそうです。

笠沙町片浦のお伊勢講

【 開催地 】南さつま市笠沙町片浦地区
      片浦公民館片浦漁港

【開催日時】平成25年2月11日 浜下り15:00

笠沙地区では野間池、赤生木、小浦、片浦の4ヶ所でお伊勢講が行われています。

お伊勢講とはお伊勢参りに誰しもが行ける時代ではなかったので
寄附を募って地域の代表者が代参する仕組みの事です。

片浦のお伊勢講は片浦公民館での神事の後、
幟持ち2名を先頭に面を被り薙刀を持った二才(15歳の青年)、
太鼓、神輿、稚児、神主と続いて浜下りをします。

途中、二才たちが散り散りとなり薙刀で沿道の見物人の頭を叩きます。
小さな子どもたちは面が怖くて泣き叫んでいましたが、
この二才たちに叩かれると一年間無病息災で過ごせるそうです。

浜まで下ると野間岳に向って「オイヤナー、オイヤナー」と歌う、
とのことだったのですが、「オ、オ、オ、オー」としか聞こえませんでした。
同じ県下でもこの辺りの言葉は鹿児島市とまた少し違うので、
私が聞きとれなかっただけなのかもしれません。

これは下った浜(片浦漁港)の片浦恵比寿大明神。

阿久根市波留南方神社の神舞

 

【開催地】阿久根市波留
(波留南方神社の神舞保存会)

【指 定】県指定無形民俗文化財

【開催日時】平成24年8月26日(日)
      11:00〜14:00

 

 

 

 

 

 

阿久根市波留地区の南方神社の神舞(鹿児島では「かんめ」といいます)を見てきました。
何カ月も前から南日本新聞で何度も記事になっていたので、大変な見学者の数でした。

神舞は天照大神の岩戸隠れの神話を7つの舞で構成したもので、
神降ろし、瓶舞、弓舞、剣舞、田の神舞、将軍舞、鬼神舞の順で奉納されます。

本来は8年ごとに奉納されるらしいのですが、後継者不足で17年振りとのこと。
今年は阿久根市政60周年ということで、対象年齢を中学生にまで下げて
ようやく人員を確保し、なんとか奉納にこぎ着けたそうです。

子供のころから神舞を見てきたという地元の女性にお話を伺うと、
「今まで大人が舞ってきたものを子供が舞っていると雰囲気が全然違う。」
「昔はこんなに沢山白い布はぶら下がっていなかった。舞庭の羽二重だけだった。」
とおっしゃっていましたが、久しぶりの奉納で嬉しそうに話して下さいました。

1.神降ろしー舞のはじめにあたって、諸国から集合された神々の紹介や御礼を申し上げる舞

2.瓶舞(びんめ)ー集合された神々に神酒をすすめ、岩戸前の気勢を上げる舞

3.弓舞ー武の神々の勢揃いは勇ましく、
     その弓矢のひびきは一層気勢をあげるに役立つ 

4.剣舞ー諸の神々は、酒に酔い血気盛りの神々は剣を抜いて舞い、
     更に気勢があがった。また、この剣舞は占いやまじないの意味もあり
     神々の奇術の舞でもあろう。

     *)この舞で使用されている剣は真剣です。

5〜6.田ノ神舞・将軍舞ー岩戸前の八百万神々は、天鈿女命(あめのうずめのみこと)の
             田ノ神舞・将軍舞に腹をかかえて笑いだし、その賑やかさは
             最高潮に達する。

7.鬼神舞ー手力男命(たもからおのみこと:鬼神)は、岩戸をあけて
      大神をお迎えできた喜びに、大手を広げて感謝の舞を舞う。

*)舞の解説は、当日会場で配られた「神舞の概要について」より

南方神社の鳥居や参道の石祠には、海水の入った竹筒が掛けられていました。

 

北山の火振り

【開催地】日置市東市来町養母 北山集落(北山納骨堂広場)
【開日時】平成24年8月15日 午後7時〜
【指 定】日置市指定無形民俗文化財「北山の火振り」

毎年8月15日に北山自治会で行われる「北山の火振り」を見てきました。

「北山の火振り」は
その昔、北山殿と梅木殿が戦いに敗れた北山殿の霊を慰め、
精霊を送る行事と無縁仏を供養するためだと言い伝えられている。
現在は北山集落の青壮年を中心に毎年8月15日納骨堂前で行われ200年以上の歴史がある。
(東市来町教育委員会の解説より抜粋)

この行事は‘つが’を振るので火振りとよばれています。
つがとは、15日の朝に集落の竹林から切り出された5m程の孟宗竹の先端に
松明がくくり付けられたものです。
昔は松の根っこを1年かけて集め、それを松明として使用していたそうですが
現在は材料の調達が難しく間伐材が使用されていました。

日が落ちると、納骨堂前広場に掘られた穴に火をつけた つが を立て、
集落の男性たちが180度の弧を描くように振り始めます。

10m四方ほどの小さな広場で何本ものつがが勢いよく振られ、
見ている私たちの目の前を松明の火が行き交い、火の粉が降り注ぎ、
最後は松明ごと落ち、迫力と緊張感のある送り火です。

このつがを立てる穴は、納骨堂となる前にお墓があった場所なので
毎年場所と数は同じで、つがを振る人はその家の方だそうです。
県外に出ている人も15日には帰ってきて、ご先祖様のために火を振るのだそうです。

ちなみにお墓があった時代はお墓の横につがを立て、
振る人は墓石の上に立って振っていたらしく
不安定で落ちたり、火が落ちても逃げられなかったり
怪我人が絶えなかったとか。

最後は広場の奥に作られた櫓に火をつけます。
櫓にはお餅を竹に付けたものが四方に飾られ
てっぺんは弓矢に象られています。
この矢は北山殿が戦に敗れた梅木殿の集落を向いているそうです。

お餅飾りを作るのは集落の女の子の仕事で
集落の各家庭で作っておいたお餅を
当日いただいて回り竹に付けるのだそうです。

火をつけると勢いよく燃え盛る櫓に青年がのぼり
縁起物の飾り餅を取りにいき勇猛さを証明します。
青年がゴーゴーと燃え盛る火の中から無事戻ってくると
周囲からは自然と大きな拍手がわきました。

毎年40本以上のつが振られるそうですが、今年は例年より少なかったようです。

最後は花火で締めくくりでした。

中山の虚無僧踊り

【開催地】鹿児島市中山町 白山神社
【開催日】平成24年7月29日
【指 定】県指定無形民俗文化財「鹿児島市中山町の虚無僧踊」
     市指定有形民俗文化財「滝ノ下の田の神」

7月29日中山町にある白山神社で虚無僧踊りが奉納されました。
ここ谷山で唯一の県指定無形民俗文化財です。

谷山観光協会発行の「谷山の歴史と文化財」によると
 豊臣氏滅亡後その再興をはかり、農兵をおこそうとして棒術を教えたことから
 この踊りが起こった。
 幕末幕府の密使が虚無僧に姿をかえて村にはいり、無礼な振る舞いをしたので
 農民たちがあやしいと思い天秤棒でこれに打ち掛かって倒したことから
 この踊りが起こった。
と言い伝えられているようです。

また、農民が虚無僧に打ち掛かったが逆に切られてしまい
農民の血で赤く染まった場所が旧伊作街道の「赤土坂」である、
という方もいらっしゃいます。

中山の虚無僧踊りは、地元白山地区で生まれ育った青年によって
尺八、三尺棒を持った虚無僧1人 対 六尺棒を持った農民2人が1組となり
計5組で構成されています。

虚無僧と農民の切りあいが由来とあって
踊りというより「立ち回り」に近いと感じました。
テンポもだんだん早くなり、迫力のある奉納でした。

今年は虚無僧役のうち3人が地元の中山小学校の生徒さんで
練習期間はたったの5日間だったそうですが、
大人に引けを取らず虚無僧を立派に成し遂げていました。

これは白山神社の鳥居の足元にある「力石」です。
昔はこれを本当に持ち上げて力自慢をしていたそうですよ。

ちなみにこれは白山神社の西側、
滝ノ下地区にある田の神様(たのかんさぁ)です。
鹿児島市の指定有形民俗文化財です。

加世田の水車からくりと士踊り(さむらいおどり)

【開催地】南さつま市 竹田神社
【開催日】平成24年7月23日
【指 定】鹿児島県県指定無形民俗文化財「士踊 り(二才踊、稚児踊)」
     鹿児島県県指定有形民俗文化財、国選 択無形民俗文化財「加世田の水車からくり」
【演 目】「加世田別府城攻め」
【問合せ】0993-53-2111 南さつま市観光交流課

7月23日は南さつま市の竹田神社(御祭神は日新公 こと島津忠良)の夏まつりで
士踊りと水車からくりが奉納されました。
士踊りは島津忠良(日新公)が出陣の前に家臣に踊 らせたのが始まりとのことですが
島津貴久(忠良の息子)の没後、慰霊のために踊られるようになったせいでしょうか
士気を高める激しい舞いというよりも
ゆっくりと円を描いて歩いたり、左右に体を揺らしたりと、静かな所作の踊りです。

神社の前の広場には、神社前を流れる水路を利用した水車からくりが奉納されていました。
今年の演目は「加世田別府城攻め」でした。
水車を動力としたからくり人形は、全国でもこの加世田の水車からくりと知覧の水からくりの2か所だけなのだそうです。
加世田の水車からくりは知覧のよりも動きは単調ですが、人形は大きくほぼ等身大です。

竹田神社の士踊りは、老いも若きも地元の歴史と文化に誇りを持ち
地域一体となって受け継いでいるのが印象的でした。
最近は後継者不足で女の子も参加する行事が多い中
稚児も二才も男性・男の子だけで奉納さていました。

帰りは加世田麓(外城の城下町)を散策。
登録有形文化財の旧鮫島邸や旧鰺坂邸も公開されていて
水路脇を涼みながらしばしのタイムトラベルでした。

豊玉姫神社の水車からくり

【開催地】南九州市知覧町 豊玉姫神社
【演 目】「牛若丸と弁慶」
【開催日】平成24年7月9日、10日、21日
【指 定】国選択無形民俗文化財「薩摩の水からくり」
     鹿児島県指定有形民俗文化財「知覧の水車からくり」

知覧町の豊玉姫神社の水からくりを見てきました。
50ほどの人形は、からくりやかたの脇を流れている
水路で回る水車の動力で動き
神社の境内にある からくりやかた で上演されます。


水路の水量によって、水車の回転が速くなったり遅くなったりすると
人形の動きもリンクして速くなったり遅くなったりするそうです。

舞台下にある仕掛け部屋を覗いてみると
ちょうど保存会の方がいらっしゃったので
今年の演目の見どころを伺ってみました。
「今までの牛若丸は上下にしか動かなかったけれど、
 今回は上下の動きに加え、欄干から欄干へ飛び移る横の動きと
 飛び上がった時に足を前後に開脚する動きが加わり
 3D的な表現を実現したところ」と教えて下さいました。

昨年の「因幡の白ウサギ」も釣り人の腰の反り具合がリアルだったし、
年々進化しているんですね。

でも、複雑な人形の動きも、仕掛けはとても単純なんだとか。
「この2本の糸が牛若丸で、これが弁慶で…」
と教えていただきましたが、機械系に弱い私には
舞台上の人形とイメージが繋がらず
ちんぷんかんぷんでした。残念。

今年は7月21日にも上演されるそうです。

坊津の十二冠女

【開催地】南さつま市坊津町 八坂神社
【開催日】平成23年10月16日

10月16日は坊津の八坂神社の「ほぜどん」(豊祭)を見に行きました。

ほぜどんの浜下りは午後からなので
午前中は坊津やまびこ会開催の「坊津まち歩き」に参加。
この日は第15回目で「坊津と戦国の三傑の信長、秀吉、家康を歩こう」というテーマでした。


9時に輝津館をスタートして3時間じっくり解説を聞きながら坊津の史跡を巡り
最後は海を見ながら坊津団子やキビナゴの一夜干しなどを頂いて解散。
当日は見事な秋晴れで、歩きながら眼下に広がる澄んだ海に何度飛び込みたいと思った事か!

さて、ほぜどんですが、運動会みたいに午後1時半の花火の合図で始まりました。
港町で豊漁を祝う祭りでもあり、昔は遠方に出ていたカツオ漁船もこのほぜどんのために
わざわざ帰港してきたそうです

浜下りは坊津の3地区が持ち回りで、今年は上之坊地区担当とのこと。
前泊した上之坊の公民館から御神体が八坂神社に還ります。
行列の先頭には赤と黒のメンドンが先払いで歩いてきます。
各地区赤黒1匹づつで計6匹。
手に棒を持っていて子供たちのお尻をピシリと…
昔は叩いていたそうですが、今は当てるだけでした。

地元の女の子が「赤メンドンは怖くないけど、黒メンドンは怖い」と教えてくれましたが
結局子どもたちは赤黒問わず怖がって逃げ惑っていました。

メンドンと一緒に獅子舞もやってきます。
各地区から1頭づつで計3頭。
容赦なくかみつくので子供たちは本気で逃げていました。

その後から十二冠女が歩いてきます。
坊八坂神社のほぜどんは「十二冠女」と呼ばれていますが
この女の子たちのことです。
頭に載せている桶には沿道からお賽銭が入れられます。
昔は12歳の女の子が12人歩いたそうですが、今年は少子化で7人でした。

十二冠女の後から太鼓と笛が続きます。
中学生が1ヶ月前から練習するそうです。

それから神主さんや総代の皆さんの神輿がつづきます。
スーツでビシッときめて神輿を引く総代の皆さんは近寄りがたい風格がありました。

このほぜどん、使用される旗や鉾などは全て京都の八坂神社からの御下がりで、
昔は大人も子供も正装で参列していたそうです。


地元の方は「最近は正装をしない人が増えた」とおっしゃっていましたが
ヨチヨチ歩きの女の子は頑張って着物で歩いていましたし


メンドンに泣かされてる男の子はネクタイをしていました。


室町時代からづつくと言われる‘ハレ’姿の行列は、南国らしからぬ雅な雰囲気でした。

知覧町中福良の「ソラヨイ」

 

【開催日】平成23年9月12日
【開催地】知覧町立中福良小学校
【指 定】国指定無形民俗文化財「南薩摩の十五夜行事」
     県指定無形民俗文化財「知覧の十五夜そらよい」

知覧町永里中福良地区で十五夜行事「ソラヨイ」が行われました。

ソラヨイ会場の中福良小学校です。
十五夜のお供えは栗と親芋,すすきと萩でした。
臼と箕の間にすすきを横にして挟んでありました。

以前は20数カ所で開催されていたそうですが、
現在は知覧町の中部地区の4〜5カ所で伝承されているのみだそうです。
中でも中福良のソラヨイは古来の姿を一番残しているということで大勢の見物人がいました。

ソラヨイに参加するのはそもそも小学校高学年の男の子らしいのですが
少子化のあおりを受け今年は5歳から13歳までの男の子10人が参加していました。
子供たちは、褌、腰蓑、円錐形の笠の3点セットで扮し
年齢の若い子は褌とシンプルな笠だけ。
その上の子は褌と輪っかのついた笠。
さらにその上になると腰蓑が付き、笠の縁からは垂れ下りが付き
年が上がるほど笠の輪っかの数が増えます。

子どもたちは神事を終えると集落に行事の開催をふれて練り歩き
月が登り始めるとソラヨイが始まります。

先ずは円陣の中央となる、まるで藁積みのような笠が出てきます。

中には子供が入っていて(声から察すると13歳以上の男の子らしい)
傘の柄のようになている芯棒を時計回りに回します。
そうすると子どもたちが出てきて笠を囲み
歌いながら笠と反対まわりに回ります。

「今夜来んと、明日の晩な、麦藁三把、松明五丁、ホーイホイ」と歌っているそうです。
そして「ソラヨイ、ソラヨイ、ソラヨイヨイヨイ」
の掛け声で相撲の四股のように足を踏みならすことを繰り返します。

それから「ナカヨイ、ナカヨイ、ナカヨイヨイヨイ」で笠に近づき
「ソトヨイ、ソトヨイ、ソトヨイヨイヨイ」で元の円陣に戻る
を繰り返し、最後には笠を壊して倒し、退場です。

お囃子などは一切なく、真っ暗闇の中、
月明かりに照らされた子どもたちの姿はとても神秘的で
どこか異空間へ連れて行かれた気分になりました。

市来の七夕踊「太鼓踊」

【開催地】いちき串木野市大里地区
【開催日】平成23年8月7日
【指 定】国指定無形民俗文化財「市来の七夕踊」

市来の七夕踊「つくいもん」からの続きです。
「つくいもん」が登場した後は琉球王行列です。
義弘公の活躍を祝って貢物を持って来る時の様子だそうです。

琉球王行列の次は大名行列。参勤交代の様子を表しているそうです。

その次は薙刀行列。
この七夕踊りのメインである太鼓踊りの前払い、後払いの役目です。
薙刀行列は3つの地区で、それぞれ恰好も踊りも違い、
この地区は頭に毛笠を付けています。

そして、最後に市来の七夕踊りのメイン「太鼓踊り」です。


つくいもんが珍しく迫力があるので、ついそちらがメインだと思いがちですが、
つくいもんはあくまでも太鼓踊りの余興です。
頭には美しい花笠を付け、提灯を中心に円陣を組んで踊ります。


至近距離で人が群がっていますが、これは…


踊り手の「仰ぎ隊」です。


皆手に手に団扇を持ち、炎天下で踊りを奉納する踊り手に風を送っているのです。

この祭りで一番印象的だったのは、裏方さんも見学者も、
この祭りにかかわっている人たち皆が七夕踊りを誇りに思っていて
地域一体となって参加していることです。

数名の方にお話を伺うことができましたが
皆さん子供のころの話やこの祭りへの想いを熱く語ってくださり
このような祭りが身近にあることが羨ましくなりました。
昨年は口蹄疫で開催できなかったとのこと…。
きっと今年の七夕踊りには、思いもひとしおだったのでしょうね。