流石氏のハガキ

「歴代長太郎展」開催期間中,入場券の代わりに
三代長太郎流石氏の『辰砂釉長首花生』のハガキを差し上げています。
ぜひ記念にお持ち帰り下さい。

流石氏の蛇蝎釉

「歴代長太郎展」では三代長太郎流石氏の作品を18点展示しています。
多彩な釉薬を操る名工として名高い流石氏,
当館収蔵の18点中でも辰砂釉,鉄釉,べっ甲釉,白蛇蝎釉,黒蛇蝎釉,玉流し釉と
多岐に及んでいます。

今回ご紹介するのは蛇蝎(だかつ)釉です。
亀裂が入った表面は,字のごとくヘビやサソリの肌を想像させます。
これは2種類の伸縮率の異なる釉薬を掛けることで
このような亀裂が現れるのだそうです。

三代作 蛇蝎釉花瓶

三代作 白蛇蝎鶴首

三代長太郎 流石

1階焼物展示室の「歴代長太郎展」は
本日より三代長太郎流石氏の作品に展示替えいたしました。

ポスターに掲載している「辰砂釉長首花生」は流石氏の作品です。

初代長太郎の四男として生まれた流石は,
生まれた日に釉薬が理想的に溶けてよく流れたので「流石」と 命名されたのだそうです。

流石氏は大作のロクロ成形を得意とし,安定感のある風格のある作品です。また,多彩な釉薬をもち,陶刻等も得意としました。温厚誠実,謙虚で地道な努力を惜しまない人柄で,人徳のある人物であったそうです。

流石氏の作品展示は12月24日(火)まで。

初代長太郎が出会った太っ腹な明治女性

有山長太郎が谷山に窯を開くことになったのは →本窯跡碑
ある太っ腹の女性と出会ったことがきかっかけでした。

もともと白薩摩の絵付け師であり,古薩摩の研究をしていた長太郎でしたが,
黒薩摩の方がより自由に表現できると思い
理想とする土を県下中探しました。

そうして,ようやく会心の土を発見したのが旧伊作街道の赤土坂でした。
(この赤土坂は県指定無形民俗文化財の虚無僧踊由来にもなっています)

この赤土坂の山を所有していたのが谷山南麓の池田氏でしたが,
最初はなかなか土の採取を承諾してもらえなかったそうです。
しかし,長太郎の人柄と才能を見込んだ池田モト夫人が夫を説得してくれたのでした。

このモト夫人が太っ腹な女性で,
土の採取だけでなく,池田家の屋敷内に住むことを許可し,
池田家の所有地(本窯跡地)1500坪を与えて作陶に協力したのだそうです。
それが明治32年,長太郎28歳の時でした。

明治の女性はかっこいいですね。


「歴代長太郎展」では初代長太郎作の「観音像」を展示しています。
高さ10センチほどの白薩摩です。
この観音像の底裏には「池田」と書かれているところをみると
おそらく初代長太郎がモト夫人の池田家に作ったものと思われます。

初代長太郎作品の展示は10月29日(火)までです。
10月31日(木)からは三代長太郎流石氏の作品を展示いたします。

参考 :木原三郎 昭和54年「陶工長太郎」

黒千代香について


「歴代長太郎展」では二代長太郎正夫作 「大黒千代香」(オオクロヂョカ)
(直径30cm)を展示しています。

「ヂョカ」とは鹿児島で焼酎用の酒器のことです。
水で割った焼酎をヂョカで一晩寝かせ火にかけると
まろやかになって美味しいのだそうです。

薩摩人にとって黒ヂョカは
 「金ヂョカ茶ヂョカいっぺこっぺさるっもしたやすったいだれもした」
 (金ヂョカ茶ヂョカあちこち歩き回ったのですっかり疲れました)
という言い回しがあったり
 「つぼ屋の土産に茶家三つ貰うた
  一ちや黒茶家(焼酎用)
  一ちや茶茶家(お茶用)
  一ちや家内へ歯黒茶家(鉄漿用)」(*1)(茶家=ちょか)
というヂョカを唄った「笠之原のつぼ屋節」という民謡があるように
大変身近な日常雑器です。

そのためか以前は「ヂョカ」にあてる漢字は特になかったようです。

例えば昭和4年,高松宮殿下が吾平山稜を訪れた際の逸話として
「後藤知事と永田代議士黒ヂョカの説明に当惑」という記事が朝日新聞に載せられています。殿下が黒ヂョカで焼酎をお召しになった際
「チョカはどのような文字を書くかとの御下問に流石の永田氏も困惑してしまひ
薩摩独特の名称でありましてどんな字を當てはめるのでございますが分かりませんと
お答へすると、ハハ…さうかなあ…とチョカが非常にお気に召した。」(*2)
とあります。

また,昭和10年10月,久邇宮殿下来鹿の折,初代長太郎の黒ヂョカをご覧になり,どういう字を書くのか,と知事に質問なさいましたが即答できず後日言上するということになりました。
当時の識者で議論された結果,初代長太郎が当てていた「黒千代香」になったのだそうです。(*3)

つまり現在主流となっている「千代香」の字を最初にあてたのは初代長太郎なのです。

また,このソロバン玉の形をした胴体も桜島と錦江湾(鹿児島湾)に写る桜島の影を見て
初代長太郎が考案したものです。 
それまでのヂョカは楕円の形が一般的でしたが,
熱効率が良い事から現在ではソロバン玉の形が主流となっています。

ソロバン玉型と千代香の名前が100年後には当たり前のように普及しているなんて
初代長太郎も予想していなかったのではないでしょうか。

(*1)(*3) 木原三郎 昭和54年「陶工長太郎」
(*2) 鹿児島縣酒造組合聯合會 昭和15年 薩摩焼酎の回顧」第六章薩摩酒器 黒ヂョカに就いて

長太郎本窯

焼き物展示室で開催中の「歴代長太郎展」では
現在 初代と二代長太郎の作品を展示しております。

初代長太郎の略歴は展示案内でご紹介しておりますとおり
明治32年,縁あって谷山の永田川河口 南清見(現谷山中央2丁目)に開窯しました。

当時, 南清見の目の前は松林が広がる砂浜で
浜では谷山名物の白貝,岩場では一口ダコが採れました。
河口ではうなぎが沢山採れたそうです。

当時の窯は6室連房の登り窯だったそうです。
大正3年の桜島大爆発による地震で崩れ,
昭和26年のルース台風では永田川の氾濫で窯が半分水没するなど
何度か天災に遭ったそうです。

時代とともに埋め立てが進んで海岸線は遠くなり
永田川の河川改修や住宅地の建設で
本窯は平成16年に木屋宇都地区へ移転されました。

現在本窯の跡地にはマンションが建っていますが
入口には長太郎窯の記念碑が残っています。
これは開窯80周年,初代長太郎没後40年の記念として
昭和54年に建立されたようです。


無地二重透彫香炉

本日は「薩摩焼の香炉と香合展」から「無地二重透彫香炉」をご紹介します。
これは大正昭和初期の堅野系慶田窯の香炉です。

乳白色の象牙のような生地は、磁器ではなく陶器になります。
よく見ると細かな貫入が入っていて、これが薩摩焼の生地の特徴です。
蓋の透かし彫りは、表と裏では細工が異なる二重の造りになっています。

 

 

 

底部には慶田窯の花押が入っています。

錦手亀文香合

1階焼物展示室の一角で開催している
「薩摩焼の香炉と香合展」から1点ご紹介します。

このハート型の可愛い蓋付の入れ物は
香炉で使用する練香を入れるための「香合」です。
大きさは約6cm×4cm、明治時代のものと思われます。

蓋には亀の絵付けが施されていて
上下をよくみるとハート型を逆さにした「桃」の形が正解のようです。
桃は不老不死、亀は長生きの象徴。
長寿の象徴の組み合わせで、なんともおめでたいですね。
器の中に描かれているのは牡丹でしょうか。


銘は鹿児島市の絵師「山下雪山」です。

金城次郎展 最終日でした

本日は「金城次郎展」の最終日でした。
金城次郎は沖縄の陶芸家で,沖縄初の重要無形文化財保持者(人間国宝)です。
隣県ということもあるのでしょうか
雨にもかかわらず,最終日だからと足を運んで下さる方が多くて
鹿児島には金城次郎のファンが多いということを改めて実感しました。
ありがとうございました。

4月4日(木)は薩摩焼の香炉・香合を展示いたします。

*)明日3日(水)は休館日です