海松

出羽さんの作品の搬入も無事終わり、明日からいよいよ展示に入ります。
これは展示予定の作品の一つで「ナガミル」という海藻の写真です。

あまり聞きなれない名前ですが、ミルという種類の海藻の1種です。
「ミル」を感じで書くと「海松」となります。

伊勢神宮の新嘗祭で神饌(神様に供える食事)としても供えられている
日本人には古来から馴染み深い海藻です。

といっても、この写真のミルは食べられない種類で、
神饌としてお供えされているミルは食用の別のミルだそうです。

以前このミルという海藻を知らずに
伊勢神宮の神宮徴古館で神饌の品書きで見たときに
「ミル貝ですか?」と学芸員さんにたずね、
初めて海藻であることを知りました。

その時教えていただいたのですが「海松文」というミルをデザインした文様が
平安時代の装束に用いられていたそうです。

もう一つ。

出羽さんから日本古来の色名に「海松色」という色がある、と教えていただいたので
日本色研事業株式会社発行「日本伝統色色名事典」で調べてみました。

以下引用させていただくと

海松色とは、
 海松は海草の一種で、その色からきた色名である。
 日本では長い間、この系統の緑色を表す色名がなかったので
 洋色名のオリーヴが登場するまで、
 平安朝から明治初期まで海松の色名は広く用いられた。
 鈍い緑系統の色としては木賊色も同じように使われたが
 木賊色はより青みを含んだ色として海松と区別される。
 海松は近世に入り江戸時代になると、たびたび流行した色なので
 暗緑色がかった茶色としての海松茶や、
 青みの海松茶という意味の藍海松茶などの当時の流行色も現れた。
ということです。

ミルって古来から本当に身近な海藻だったんですね。

錦江湾の外の海は?

先日「錦江湾はどこまでか」ということを書きましたが
今度は「 錦江湾の外は東シナ海と太平洋のどっちだろう? 」
という疑問がわいてきました。

薩摩半島側は東シナ海、大隅半島側は太平洋で
きれいに半々で接していたりして!?

早速、第十管区海上保安本部海の相談室 に問い合わせてみました。
すると、すぐに国際水路機関(IHO)のドキュメントを送って下さり境界線が判明しました。

東シナ海と太平洋の境界は
「火(肝付町)から種子島の最北点、喜界島の東側を結んだ線」
となるようです。

その先は沖縄本島の南端を通り宮古列島の波照間島の東側、
与那国島の西側を結ぶ線になるようです。

ドキュメントが英文だったのと
ところどころ位置が緯度経度で示されていたので
微妙に解釈がずれているかもしれませんが
おおよそこのような感じのようです。
               
というわけで、
錦江湾(鹿児島湾)の南側は全て東シナ海となります。
驚いたのが大隅半島の東側は太平洋ではなく東シナ海だったという事実!   
内之浦のロケット基地が面している海も東シナ海なんですね。  
勝手に大隅半島の東側は太平洋だと思い込んでいました。

どこまでが錦江湾(鹿児島湾)?

出羽慎一さんの写真展、着々と準備が進んでおります。

さて

出羽さんの写真展を「錦江湾の水面の向こう側」って自分たちで紹介しているけど
いったい錦江湾ってどこまで???

と、疑問に思ったので
環境省のHPで調べてみました。

まず、私たちは通常「錦江湾」と呼んでいる この目の前に広がっている海は
正式には「鹿児島湾」なんです。
地図にも「鹿児島湾」と載っています。

その鹿児島湾は
「長崎鼻と大隅半島の立目崎を結んだ線まで」
なのだそうです。

準備中です!

今年の鹿児島は観測史上最大の積雪で年が明け
南国らしからぬお正月でしたね。

早いもので、それから10日も過ぎ…
ただ今、29日から開催の出羽慎一さんの写真展
「桜島 海底に流れる時間」の準備に追われています。

出羽さんは、錦江湾(鹿児島湾)といえば先ず名前があがる、錦江湾のエキスパート。
渕上印刷さんの Region No20 でも「錦江湾にほれ抜いた男」として紹介されています。

1年のうち300日は錦江湾に潜っている、とプロフィールにもあるとおり
本当にいつも錦江湾に潜っていらっしゃるので、企画展開催間近になっても
なかなか連絡が取れず、こちらが焦っていまうほどなのです。

そんな「錦江湾の住人」といっても過言ではない出羽さんだからこその作品
五十数点をただ今展示準備中です。
今回はお忙しい中、会期中4回もギャラリートークを開催してくださいます。

追々情報を更新していきますので ぜひ足をお運びください。

【 会  期 】:1月29日〜3月27日
【ギャラリートーク】:1月29日、2月12日、3月5日、3月26日 いずれも午後2時〜
【 入 館 料 】:無 料

出羽慎一さんのHP「魚のぞき」
ガイド会「世界の海ブログ」