遠見遮断

谷山小学校と谷山支所の慈眼寺方面側(国道と反対側)にある交差点は
東西と南北の二重のクランクになっていて非常に通り辛く
離合する車の運転手は皆ピリピリです。

実はこの道、「遠見遮断」といって
わざとクランクにして遠くが見通せないよう作られた道なんです。

その昔、谷山小学校は谷山地頭館(地頭仮屋)で
谷山支所の前は仮屋馬場でした。
谷山の心臓部だったため、簡単に見通せたり
馬で一直線に攻め入ってこられないように工夫された道だったんですね。

そういう事実を知ると、ここが通り辛くて当たり前。
むしろ通り辛さを楽しみたくなります。

しかし…
この通りは小学生の通学に危険が伴うため、
近々拡張され、遠見遮断の跡は姿を消します。

車社会となった現代、子供たちの危険を考えると仕方がないことです。
今のうちに通り辛さを楽しんでみて下さい。

辻之堂の水神様

ただ今絵画展示室では「水辺のアルバム」と題し
海や川など水辺の風景にちなんだ作品を展示していますので、
当館の水にちなんだ風景をご紹介します。

写真の石祀は当館駐車場の奥に鎮座している水神様です。
もとは道路側にあったのですが、駐車場整備にあたり今の場所に移されました。

この辺りは水が豊富な地域らしく、昭和30年代まで水田が広がっていました。
当館向いの建物の脇には堀(水路)が流れていたので、
この水神様はその堀(水路)にあったものかもしれません。

ちなみに、ここから50m程先には、笹貫の刀匠波之平の分家があり
堀に囲まれていたので「堀の波之平」と呼ばれています。
今もバス停留所「新永田橋」の側に堀の跡が少しですが残っています。
また、この堀沿いにお住まいだった名残りで
堀脇さんというお名前が数件残っています。

刀匠が移り住むのですから、水も上質だったようです。
今でも井戸が残っているお宅が沢山ありますが、
指宿枕崎線の線路辺りから水脈が違うらしく
線路から永田川方面(堀の波之平側)は非常に上質の水が出るのですが
残念ながら線路からこちら側は赤水なのだそうです。

また、この辺りでは水が豊かな沢などに生息しているエゴノキが
一般のご家庭の庭木として元気に花を咲かせています。
これも水脈の豊かな地域だからこそ見られる風景なのでしょうね。

中山の虚無僧踊り

【開催地】鹿児島市中山町 白山神社
【開催日】平成24年7月29日
【指 定】県指定無形民俗文化財「鹿児島市中山町の虚無僧踊」
     市指定有形民俗文化財「滝ノ下の田の神」

7月29日中山町にある白山神社で虚無僧踊りが奉納されました。
ここ谷山で唯一の県指定無形民俗文化財です。

谷山観光協会発行の「谷山の歴史と文化財」によると
 豊臣氏滅亡後その再興をはかり、農兵をおこそうとして棒術を教えたことから
 この踊りが起こった。
 幕末幕府の密使が虚無僧に姿をかえて村にはいり、無礼な振る舞いをしたので
 農民たちがあやしいと思い天秤棒でこれに打ち掛かって倒したことから
 この踊りが起こった。
と言い伝えられているようです。

また、農民が虚無僧に打ち掛かったが逆に切られてしまい
農民の血で赤く染まった場所が旧伊作街道の「赤土坂」である、
という方もいらっしゃいます。

中山の虚無僧踊りは、地元白山地区で生まれ育った青年によって
尺八、三尺棒を持った虚無僧1人 対 六尺棒を持った農民2人が1組となり
計5組で構成されています。

虚無僧と農民の切りあいが由来とあって
踊りというより「立ち回り」に近いと感じました。
テンポもだんだん早くなり、迫力のある奉納でした。

今年は虚無僧役のうち3人が地元の中山小学校の生徒さんで
練習期間はたったの5日間だったそうですが、
大人に引けを取らず虚無僧を立派に成し遂げていました。

これは白山神社の鳥居の足元にある「力石」です。
昔はこれを本当に持ち上げて力自慢をしていたそうですよ。

ちなみにこれは白山神社の西側、
滝ノ下地区にある田の神様(たのかんさぁ)です。
鹿児島市の指定有形民俗文化財です。

弥生時代の住居跡

当館から50mほど先で発掘作業が行われているので、ちょっと覗いてきました。

弥生時代の住居跡だそうです。

この辺りも掘ったら土器が出てくるかな。

辻之堂の馬頭神

先日ご紹介した当館前の田の神さぁの隣には「馬頭神」の石碑があります。
馬頭神の石碑は家畜の健康と安全を願い、また弔うために建てられています。

ここ谷山は昭和40年代頃までは田畑が広がっていたそうで
きっとたくさんの農耕用の牛馬がいたのでしょう…。

しかし、10年ほど前に私が谷山に移り住んできた頃は
街並みは今とそれほど変わらない現代の閑静なこの住宅街で、
普通に馬が飼われていました。
普通の民家の庭先に、犬小屋に犬がいるように、馬小屋に馬がいました!
それも1件だけではなく複数件!!

最初私にとっては、かなり衝撃的な光景で
「農耕馬なんだろうか?ペットなんだろうか?」
「犬みたいに散歩をさせているんだろうか?」
「そもそも公道を歩けるんだろうか?」
と、頭の中を???が駆け巡りました。

地元の方々に「馬がいるんですね!?」と驚きを伝えても
「あぁいるよね。」
何驚いてんだ?という反応。
谷山の人にとっては違和感のない日常風景のようでした。
 
それもそのはず、
この辺り(永田橋のたもと)は伊作街道の宿場だったそうです。
永田川の川岸で馬を荒い、永田橋から現JR谷山駅方面の川沿いには
蹄鉄を打つ鍛冶屋や茶屋、車屋(馬車)が並んでいたそうです。
乗り継ぐための馬が沢山飼われていて、今も当時の小屋が残っています。

残念ながら、ここ数年どのお宅も馬を手放してしまい、
もう、この辺りで馬を見かけることはなくなりました。

白貝

写真のお菓子は谷山銘菓「白貝最中」です。

当館が所在している谷山は昭和40年頃まで砂浜が広がっていました。
ちょうど今頃の時期になると砂浜で「白貝」が沢山採れていたそうです。
その「白貝」を模して作られたのが白貝最中です。

それにしても、
「白貝」って聞きなれない名前です。
谷山でそんなに採れていたなら
今でもどこかで採れたり
食卓に上がっていてもおかしくないはず。

この最中のモデルになった白貝を食べてみたい!
そう思ってここ1年、
スーパーや鮮魚店で白っぽい貝を探しましたが
白貝という貝を見つけることができませんでした。

きっと昔から白貝は採れたはずたから
谷山の草野貝塚から白貝が出土しているかも、
「ふるさと考古歴史館」に探しに行ったこともありました。

それでも「白貝」は見つからなかったので
白貝最中を作っている小迎菓子店の奥さんに
白貝を扱っている鮮魚店を紹介して頂き、
先日ついに念願の白貝を食することができました!

これが白貝です。

なんと、バカ貝(青柳)のことでした。
確かに草野貝塚からは沢山バカ貝の貝殻が出土していました。

ちなみに、後日スーパーで「舌貝」という名前で売られているのを見かけました。
火を通すと長い舌が出てくるからでしょうか。

最中の白貝は、ご主人が丹精込めて練り上げた3種類の餡があって
とっても美味ですよ。

追記(2013.10.17)
 残念ながら谷山の区画整理に伴い,小迎菓子店は閉店となりました。
 

古書リゼットさんのおはなし会

以前から、ずーっと気になっていた
町内の 古書リゼットさんのおはなし会へ行って来ました。

子供のいない日常は 絵本を読むことから縁遠い生活なので、
ずいぶんと久しぶりに絵本の世界に接しました。

日頃は求めている情報が載っていそうな本を探して
更にその本の中から必要な個所を抜粋して…
なんていう読み方をしているので、
たった数行の言葉と絵でストーリーに引き込まれていしまう絵本が
とても新鮮でした。

自分でも驚いたのが
読み聞かせていただくと
どんどんストーリーと挿絵からイメージが膨らんで
お話を聞きながら、絵を見ながら
自分の頭の中で自分の世界がグルグル巡るんです。

1冊の本の物語が終わるのに5分もかかっていないのに
どっぷりとその世界に入れるので
とても充実感が得られるのです。

なるほど、子供に読み聞かせが良いのは
こういう事か…
と勝手に納得してしまいました。

勝手ついでに、リゼットさんは絵本専門の古書店だと思い込んでいた私。
そのせいで なかなか近寄りがたかったのですが、
充実した絵本のほかにも
洋書、専門書、文庫本などなど様々なジャンルが充実していて
絵本と縁のない大人にとっても「宝箱」でした。

貴重な本が山積みで
お財布の中身を充実させていくと、とんでもないことになりそうです。

*)おはなし会の参加費は無料ですよ。