清泉寺長太郎窯元より「親と子の手仕事の旅」展のご案内をいただきました。
清泉寺長太郎窯元の有山明宏氏(親)と有山壽彦氏(子),カモイケ工房の有山清麿氏(子)
による作品展です。
伝統的な長太郎焼作品から,現代の風を取り入れた作品まで
清泉寺長太郎親子の手仕事に触れてみてください。
期間:11月17日(金)~26日(日)
場所:天文館画廊
時間:11:00~18:00
併せて利重窯の松元利重氏の作品も出品されるそうですよ。
長太郎焼本窯の陶芸体験
2月26日,谷山ふるさとコミュニティ協議会主催の「谷山ふるさと自然文化体験塾」として
長太郎焼本窯で陶芸体験プログラムが開催されました。
先ずは四代長太郎 有山長佑さんから薩摩焼の歴史と長太郎焼きの由来についてのお話し。
長太郎焼は初代長太郎が明治32年,現在の情報高校近くに開窯したのが始まりです。
平成16年に現在の小屋宇都(こやんと)地区へ移転しました。
本窯跡についてはこちら→★
その後工房の見学をしながら焼き物の制作過程を説明していただきました。
四代長太郎さんのロクロ成形の技。みんな真剣に見入っています。
ロクロは難しいので,参加者は手捻りで好きな形を作っていきます。
発想豊かな楽しい作品ができあがっていました。
完成品には釉薬が掛けられて参加者の手元に届けられるそうです。
今回は谷山の小学生に地元の文化を知ってもらうイベントでした。
これを機に谷山の様々な文化や背景に興味を持ってくれるといいですね。
(*)通常 長太郎本窯では陶芸体験は行われておりません。
本プログラムのみの開催となりますのでご了承ください。
伝・秀頼の墓
みなさんは、豊臣秀吉の子、豊臣秀頼(ひでより)の墓だと伝えられる宝塔が、当館のすぐ近くにあることをご存知ですか?
豊臣秀頼と言えば、元和元年(1615年)5月の大阪夏の陣で、徳川軍に敗北し、母淀君とともに大阪城にて自害しており、その墓所は関西の縁の地に残されています。
しかし実は、その秀頼は大阪夏の陣では亡くなっておらず、豊臣恩顧の大名として名高い島津氏が、谷山の木之下地区(現在の谷山中央四丁目付近)に連れ帰りかくまった、と認められるような記述が、薩摩のいろいろな書物に散見されるのです。
当地ではこれを「秀頼の薩摩落ち」と言い、また、その墓と伝わる宝塔も、実際に「木之下地区」に現存しています。
薩摩藩では江戸時代にこの宝塔を3mほど掘って調査しましたが、何も出てこなかったと記録していますし、また、近年では、宝塔に「谷山」の銘が見えることから、初代谷山氏の供養塔ではないか、との説明もありますが、いずれにしても、「木下」姓といえば、秀頼の父、秀吉のもともとの苗字でもあり、不思議な縁を感じます。
折しも大河ドラマ「真田丸」では、いよいよ大阪夏の陣の回がせまり、当館にも、この秀頼の墓と伝わる宝塔を訪ねて来館されたお客さまがいらっしゃいました。
気候も穏やかな秋の散策に、歴史に思いを馳せ、立ち寄ってみられてはいかがでしょうか?
※個人宅の敷地内にありますので、ご迷惑のないようご配慮ください。
※参考:ふるさとの歴史ガイド 谷山の歴史と文化財(平成26年発行/谷山観光協会)
Sora Maga Vol.28
横田博臣「手作り模型展」
慈眼寺公園は春爛漫です
ただ今 慈眼寺公園内の桜公園では桜が満開となっています。
ぽかぽか陽気に誘われて,たくさんの方がお花見を楽しんでいます。
桜公園の上にある公園(ふるさと考古館前)は菜の花が満開です。
花畑の周辺は甘い香りに包まれて,五感で春を満喫できますよ。
公園内は新芽も吹いてきています。
そうめん流しも始まっていますよ。
ぜひ谷山に春を感じにいらしてください!
もう踏切はありません
慈眼寺駅・谷山駅高架開業記念レールウォーク
当館の最寄駅でもあるJR指宿枕崎線の谷山駅から慈眼寺駅まで
ただ今線路の高架工事が行われています。→☆
昨日は26日のオープン記念のイベントとして高架を歩くレールウォークが開催されました。
変わりゆく谷山を見学できる貴重な機会なので参加してみました。
慈眼寺公園から新慈眼寺駅に向けて
新慈眼寺駅舎から望む現慈眼寺駅
ゴールは水戸岡鋭治氏デザインの谷山新駅舎。
シンプルな空間にも天井には心憎い配慮が。
急激に変わっていく街並みに戸惑いをおぼえることもありますが
新駅舎のオープンもとても楽しみです。
7キロのウォーキングの後はカフェトワメゾンでモーニングを美味しくいただきました。
「古代からのメッセージ」ふるさと考古歴史館
ただ今谷山の ふるさと考古歴史館 で開催中の「古代からのメッセージ展」では
鹿児島紡績所技師館(異人館)跡の発掘調査での出土品や福昌寺の模型と併せて
谷山北麓(谷山小学校周辺)と不動寺遺跡(JR慈眼寺駅北側)の出土品が展示されています。
不動寺遺跡では鹿児島市内で初めて出土した「方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)
(破鏡)」という青銅鏡が展示されていました。
当時非常に貴重で手に入らないものだったので,物理的に数を増やすために故意に破壊し,
破片を磨き穴を開けて装飾品として使用されていたようです。
この不動寺エリア,昭和ひとけた生まれの男性の話によると
「ここは掘るといろいろ出てきてね,子供の頃は宝探しと称して掘りに来たものだったよ。
僕は‘勾玉’が好きだったから勾玉狙いで掘って,何個が見つけて持ってたよ。」
とのこと。当時の子供たちの宝箱は本当の‘宝箱’だったかたもしれませんね!
谷山北麓は弥生時代の住居跡だったことは知られていますが,
今回の出土品の中には昭和30年代まで使用されていたヤクルトのガラス瓶もあり,
弥生時代から近世までの人々の生活が身近に感じられる内容でした。
ふるさと考古歴史館にむかう「紫陽花ロード」はこれからが見頃です。
企画展は入場無料ですので,ぜひ足を運ばれてはいかがでしょうか。