みなさんは、豊臣秀吉の子、豊臣秀頼(ひでより)の墓だと伝えられる宝塔が、当館のすぐ近くにあることをご存知ですか?
豊臣秀頼と言えば、元和元年(1615年)5月の大阪夏の陣で、徳川軍に敗北し、母淀君とともに大阪城にて自害しており、その墓所は関西の縁の地に残されています。
しかし実は、その秀頼は大阪夏の陣では亡くなっておらず、豊臣恩顧の大名として名高い島津氏が、谷山の木之下地区(現在の谷山中央四丁目付近)に連れ帰りかくまった、と認められるような記述が、薩摩のいろいろな書物に散見されるのです。
当地ではこれを「秀頼の薩摩落ち」と言い、また、その墓と伝わる宝塔も、実際に「木之下地区」に現存しています。
薩摩藩では江戸時代にこの宝塔を3mほど掘って調査しましたが、何も出てこなかったと記録していますし、また、近年では、宝塔に「谷山」の銘が見えることから、初代谷山氏の供養塔ではないか、との説明もありますが、いずれにしても、「木下」姓といえば、秀頼の父、秀吉のもともとの苗字でもあり、不思議な縁を感じます。
折しも大河ドラマ「真田丸」では、いよいよ大阪夏の陣の回がせまり、当館にも、この秀頼の墓と伝わる宝塔を訪ねて来館されたお客さまがいらっしゃいました。
気候も穏やかな秋の散策に、歴史に思いを馳せ、立ち寄ってみられてはいかがでしょうか?
※個人宅の敷地内にありますので、ご迷惑のないようご配慮ください。
※参考:ふるさとの歴史ガイド 谷山の歴史と文化財(平成26年発行/谷山観光協会)