現在、鹿児島市立美術館で特別企画展「鹿児島市立美術館開館70周年記念 没後100年 黒田清輝とその時代」が開催されていますが、黒田清輝と鹿児島の焼物「長太郎焼」は実は深い関係があるのです。
明治32年、谷山に窯を築いた初代有山長太郎は、当初は「長太郎焼」ではなく「清見山」「谷山清見」「薩摩清見山」「清見山 有山」「薩摩 谷山」などと銘を施していました。
明治42年頃、長太郎は鹿児島に帰省していた画家の黒田清輝に知遇を得、
以来協力と激励を受け、大正9年にこれまでにない理想とする作品を焼き上げました。
それを見た黒田清輝は「古枯を以て優るものあり、雄大を以て秀づるものあり雅趣に豊なるものあり、気品に誇るものあり」と激賞し、『長太郎焼』と命名したのです。大正11年には商標登録もしています。
当時日本の洋画界を牽引していた黒田清輝ですが、その審美眼は陶芸にも向けられていたのですね。