没後40年寺尾作次郎展 ギャラリートーク開催レポート

10月5日(土)、没後40年寺尾作次郎展 ギャラリートークを開催しました。
講師は寺尾作次郎の三女で陶芸家の寺尾カリナさんです。

前半では主に昭和15年に鹿児島県工業試験場窯業部に着任する以前の、東京・京都での作家活動についてお話をうかがいました。

「鶏と鶏頭花屏風」(昭和15年、ポスター使用作品)は鹿児島に行く前に京都にて制作され、糊を伊集院の川で落として仕上げたそうです。本作品を最後に染色作品の制作をやめたので、この屏風が染色最後の作品となりました。

「獅子貼付文貼付革壺」(昭和12~14年、リーフレット掲載)は水牛の1枚革を叩き上げて壺形に成形したのち、版木にたたきつけてレリーフ状にした革を膠で貼りつけた珍しいつくりの作品です。革製の壺は斬新な発想で高い評価があった一方、実用性がないとの意見もあり、賛否両論だったそうです。

「河童像」(昭和32・33年、薩摩川内市川内歴史資料館蔵)は、旧川内市市役所の噴水に昭和32年から38年の6年間設置されていました。妖怪にしてはとても愛らしい造形となっているのは、小さいときの弟さんがモデルになっているからだそうです。

後半では、鹿児島での作陶についてお話をうかがいました。
寺尾の陶芸家としての活動時期は①来鹿以前、②鹿児島県工業試験場時代、③慶田窯時代、④紫原鹿窯時代の4つに分類され、うち今回の展覧会では②鹿児島県工業試験場時代 以降の作品を展示しています。
慶田窯時代は約4年間と短期間のため、残っている作品が少ないそうです。

寺尾作品の魅力の1つである染付の細やかな絵付けは、染色家時代に面相筆(毛先の細い筆)で様々な文様を描いていた経験が生かされているそうです。
イッチン技法(異なる釉薬、いわゆる「泥」をケーキの絞り器のようなもので出して絵を描く技法)にも、ろうけつ染めをしていた経験が生かされているのではないか、と仰っていました。

また、寺尾作品には人目に触れることのない箇所にも、丁寧な絵付けや細工が施されたものが多くあり、見どころとなっています。「窯変鳥葡萄文扁壺」(昭和43~59年)もその1つで、底の部分まで趣向を凝らした細工がなされています。 

寺尾カリナさん、ならびにご参加いただいた皆様ありがとうございました。

第2回ギャラリートークを開催しました

9月7日(土)、「TANIYAMA ART SCENE」第2回ギャラリートークを開催しました。
今回は鹿児島県美術協会会長・二科会会員の祝迫正豊先生にお話いただきました。

今回は画面構成の工夫や色調による効果、モチーフの描写方法の違いといった、作家ならではの観点から解説いただきました。
谷山在住の画家・児玉 光仙(こだま こうせん)(1921-2007)は、水墨画を思わせるダイナミックな線が印象的な作品(例:「暁の桜島」)で知られる一方で、「慕情(想)」のような、余白の白色からモチーフがぼんやりと浮かび上がるような、やや異なる画風の作品も残しています。
この作品について、先生は「余白の取り方がダイナミックな作品であり、画家にとっては描きこみをどこまでに留めるかの判断も難しいところ」と解説され、画家のバイタリティーが別の形で発揮された作品であることに気づかされました。

左:「暁の桜島」/右:「慕情(想)」

また、谷山在住の先輩作家の方々とのエピソードもお話いただきました。
一貫して裸婦をモチーフとした庵跡 芳昭(あんぜき よしあき)(1929-2016)は、ドーバー海峡にて版画家の浜田 知明(はまだ ちめい)(1917-2018)と知り合いました。後年浜田が来鹿した際に庵跡の自宅へ案内したところ、ユニークな歓迎を受けたそうです。

「時の狩人、時空」解説風景

ポスター掲載作品「時の狩人、時空」は、コロナという見えないものへの恐怖を感じていた時間を記録すべく制作を始めた「時の狩人」シリーズのなかでも、新たな展開を見せている作品です。複雑な形状をした重量感のある「岩盤」と、魚のようなフォルムの「もや」という対照的なモチーフが、七色の光を帯びながら宙に漂っています。
モチーフの持つ意味などについてわかろうと思いを巡らすより、画面の前に立って受けた印象を大切にして欲しいそうです。

祝迫先生ならびにご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

9/7(土)第2回ギャラリートークのご案内

下記のとおり第2回ギャラリートークを開催いたします。

日時:9月7日(土)14時~
講師:祝迫正豊先生(鹿児島県美術協会会長、二科会会員)
参加費:入館料のみ *予約不要

美術作家として、また教育者として長年鹿児島の美術に携わってこられた
先生ならではの解説を聞きながら、谷山のアートシーンをじっくり味わってみませんか?
参加ご希望の方は、14時前に2階絵画展示室にお集まりください。

第3回やきものお話会を開催しました

指宿長太郎焼窯元・有山禮石さんによる第3回やきものお話会を、2月13日(日)に開催しました。
最終回となる今回は、近代陶芸と現代陶芸のあゆみや、公募展の思い出についてお話いただきました。

会場風景
指宿長太郎焼窯陶主・有山禮石さん

今回のお話で、「陶芸」という言葉は実は比較的新しい言葉であることを初めて知りました。昭和6年(1931)京都出身の陶芸家・河村蜻山(かわむら せいざん)が日本陶芸協会を立ち上げたのが初出だそうです。
今日私達がイメージする「陶芸家」が、実は新しい概念であるということを、近代陶芸と現代陶芸の解説を通じて知ることができました。

近代陶芸は幕末の万博出品に始まる、海外の目線や文化との接触をきっかけに発展を遂げたといわれます。
富本憲吉(とみもと けんきち)や楠部彌弌(くすべ やいち)・板谷波山(いたや はざん)といった、全ての制作工程を自らが手がける「作家」(=陶芸家)が誕生し、東洋陶芸の伝統や西洋美術、あるいは彫刻や絵画といった陶芸以外の美術に学ぶことで、創造性あふれる作品が生み出されました。
それまで日本のやきものづくりは個別の工程を得意とし、製品の質が均一であることを重視する「職人」による分業制で成り立っていましたが、彼らの出現を機に次第に変化を遂げたそうです。

そして第2次世界大戦後に端を発する現代陶芸になると、戦争前とは全く異なる新たな価値観に基づいて創作活動が行われるようになったそうです。
かつては焼き場(作品を焼成する場所)を女人禁制とする窯元も少なくなかったようですが、現代では女性の陶芸家も珍しくなくなりました。
また、一人の作家で制作工程を一貫して行うことが当たり前となり、今日の「作家」像が確立された、というお話でした。

ご自身の作品が掲載された「日展ニュース」を示しながら
解説される禮石さん

加えて、公募展の思い出についてお話いただきました。
公募展の審査員を務める際は、勉強会に参加して事前に出品者の作風把握に努めていたこと、審査の際は5回見直しを行っていること、また公募展は初入賞後が難しいなどなど、作家さんならではのエピソードを伺うことができました。

※「博物館における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」に基づき、参加者の検温、人と人とが触れ合わない間隔の確保、定期的な換気などの対策を行った上でイベントを実施しています。

第3回ギャラリートークを開催しました

 会期最終日となりました10月26日、第3回「藍の刻」ギャラリートークを開催しました。
 今回は参加人数が少人数ならではの強みを生かし、安藤さんと参加者の方々と対話形式でギャラリートークを行いました。

 ダイビング器材やダイビング用カメラ、海底の生物環境の様子、沈没船の残り方等様々な事柄に関する疑問を、直接水中写真家に質問できるよい機会になったようです。

 また、安藤さんから撮影の際のエピソードや、作品一枚一枚に込めた思いの解説を受けたことで、より作品への理解が深まったそうで、豊かな鑑賞の時間を過ごして頂きました。

「心に残った作品」投票結果〈9月〉

「藍の刻」の会期もあと二日と残り僅かとなりました。多くのお客様に恵まれ、おかげ様で「一番心に残った作品」投票も着々と票数が増加中です。最終結果の前に、今回は9月の投票結果を発表いたします。

第1位:山鬼山丸 其ノ弐
第2位:富士川丸 其ノ伍
第3位:桑港丸 其ノ弐

第4位:追風 其ノ壱
第5位:伯耆丸 其ノ壱

第1位:
山鬼山丸 其ノ弐
第2位:
富士川丸 其ノ伍
第3位:
桑港丸 其ノ弐

これまで以上に、チュークの海の歴史を物語る人工物が上位を占める傾向となりました。

最終結果の発表もお楽しみに!

三宅美術館特別企画展「安藤徹写真展 藍の刻」―写真で巡る海中遺跡と豊かな自然―

「安藤徹写真展 藍の刻」ポスター

概要

日本から南に約3,500キロ。太平洋に浮かぶ小さな島々からなるトラック諸島(現ミクロネシア連邦チューク州)には沈没した日本の船と豊かな自然が共存する、不思議な風景が広がる場所があります。ミクロネシア連邦チューク州には、数奇な運命で沈没した日本の船が海中遺跡として保護され、色鮮やかなサンゴや魚類に囲まれて眠っています。
 本展では、トラック諸島の海中遺跡を撮影し続けている鹿児島県在住の写真家・安藤徹氏の写真作品を展示します。
 作品鑑賞を通じて、沈没船と自然が織りなす独特の風景の美しさを味わい、海中遺跡の保護の必要性や、美しい景色を支える生物多様性の大切さについて理解を深めて頂きたいです。また、海中遺跡の辿った物語について思いをはせてみてください。

会 期 :2021年7月10日(土)~2021年10月26日(火)〈会期を延長しました〉
会 場 :三宅美術館2階絵画展示室
入館料 :一般300円、70歳以上100円、障害者手帳保持者・大学生以下は無料
主 催 :一般財団法人三宅美術館
協 力 :鹿児島市文化芸術活性化補助金採択事業
特別協力:船の科学館「海の学びミュージアムサポート」

公式サイトにリンクします
公式サイトにリンクします

写真家紹介

安藤 徹(あんどう とおる)
1955年宮崎市生まれ。1998年スクーバダイビングインストラクターを取得し、同年ダイビングショップla・bombaを鹿児島に開設。坊津(南さつま市)と桜島周辺(鹿児島湾)をメインポイントとして、今日までガイド、プロダイバーの育成、アマチュアダイバーの継続教育等を行っている。特に水中環境保全啓蒙に力を入れており、ショップ開設以来、海浜および水中の清掃活動を続けている。水中写真は1995年から国内外を問わず撮影を続け、ライフワークとなっている。

関連イベント

安藤徹氏によるギャラリートーク
第1回 2021年7月10日(土)14:00~ 申し込みの受付は終了しました
第2回 2021年9月9日(木)(延期)14:00~  申し込みの受付は終了しました
定員:20名(要電話予約・先着順)
参加費:入館料のみ

ビーチクリーンアップ
日時:2021年8月11日(水)午前中
定員:20名(要電話予約・先着順)
参加費:不要
場所:坊津海岸(la・bombaスノーケリング&スクーバダイビングパーク)
定員に達しました、有難うございました。

*新型コロナウイルスの感染状況によって、参加者を鹿児島県内在住者に限定させていただく場合があります。

第4回ギャラリートーク:十五代沈壽官氏(沈壽官窯)

三宅美術館では開館30周年記念企画展「椋鳩十と薩摩伝統工人たち」展の一環として,沈壽官窯より,十五代沈壽官氏をお迎えし,ギャラリートークを行いました。
十五代沈壽官氏は,「薩摩伝統工人伝」に「反骨の精神に燃えた,見識高い人であった」と評された十二代沈壽官のひ孫にあたります。

お話は,古くは豊臣秀吉の朝鮮出兵の折,陶工のみならず,樟脳,養蜂,土木測量,医術,刺繍,瓦製造,木綿栽培などに携わる多くの朝鮮技術者が日本に連行され,日本各地で技術を伝承した歴史からはじまりました。中でも陶工は,朝鮮白磁を基礎としながら,それぞれの土地の条件に呼応し,鹿児島では薩摩焼,佐賀県では伊万里・有田焼,山口県では萩焼として現在も技術が伝承されているそうです。

その薩摩焼の歴史のなかでも大きな契機は,大河ドラマ「西郷どん」でもおなじみの島津斉彬による集成館事業で,収縮しない素地の開発と海外で売れる薩摩焼の製造を薩摩藩から求められた陶工たちは,みごとに課題を克服し,海外では,磁気を「Imari」陶器を「Satsuma」と呼ばれるまでになったと言い,沈壽官窯には,戦争や差別の憂き目に合いながらも,このような大きな事業に地道に取り組んできた歴史があるとのことでした。

また白薩摩の原料となる土について,40年ほど前から,鹿児島県内の土を使わない薩摩焼が多く流通していましたが,近年,十五代の開発研究により,改めて鹿児島県産の土を100%使った白磁の茶碗が作れるようになったそうです。

十五代による2017年作の「薩摩盛金鶴茶碗」という作品は,当館で2/27(火)まで,ご覧いただくことができます。

十二代沈壽官作品


左:錦手憩う翁 右:錦手釣鐘と弁慶像

これは、日置市東市来町美山にある壽官窯の十二代沈壽官の作品です。
椋鳩十が「薩摩伝統工人伝」で苗代川(現美山)の白薩摩の名工として紹介しています。

薩摩焼では、このようなフィギアを「捻りもの(ひねりもの)」といいます。
十二代沈壽官というと、陶器の全面に透かし彫りを施す技術を確率し、中でも二重透かし彫りが有名ですが、捻りものも大変得意とし、名品が多く残っています。

写真の作品は、左の「錦手憩う翁」は高さ12cm、右の「錦手釣鐘と弁慶像」は高さ17cmと小振りです。しかし、よく見ると二体とも表情は大変豊かで、翁はすっかり酔っ払っているのでしょうか、目が垂れ下がっています。細部の細工もぬかりがなく、翁の足元にあるキセルの火入れの中には、赤く燃えた炭がちゃんと入っているんです。
弁慶の鎧の絵付けも繊細で、右手で掴んでいる綱は陶器とは思えないリアルさです。

これらの職人技や伝統を継承している現在の沈壽官窯から、当代(15代)沈壽官氏に壽官窯、薩摩焼についてお話いただきます。
日時は2月17日(土曜日)午後2時からです。ぜひ足をお運びください。