第3回やきものお話会を開催しました

指宿長太郎焼窯元・有山禮石さんによる第3回やきものお話会を、2月13日(日)に開催しました。
最終回となる今回は、近代陶芸と現代陶芸のあゆみや、公募展の思い出についてお話いただきました。

会場風景
指宿長太郎焼窯陶主・有山禮石さん

今回のお話で、「陶芸」という言葉は実は比較的新しい言葉であることを初めて知りました。昭和6年(1931)京都出身の陶芸家・河村蜻山(かわむら せいざん)が日本陶芸協会を立ち上げたのが初出だそうです。
今日私達がイメージする「陶芸家」が、実は新しい概念であるということを、近代陶芸と現代陶芸の解説を通じて知ることができました。

近代陶芸は幕末の万博出品に始まる、海外の目線や文化との接触をきっかけに発展を遂げたといわれます。
富本憲吉(とみもと けんきち)や楠部彌弌(くすべ やいち)・板谷波山(いたや はざん)といった、全ての制作工程を自らが手がける「作家」(=陶芸家)が誕生し、東洋陶芸の伝統や西洋美術、あるいは彫刻や絵画といった陶芸以外の美術に学ぶことで、創造性あふれる作品が生み出されました。
それまで日本のやきものづくりは個別の工程を得意とし、製品の質が均一であることを重視する「職人」による分業制で成り立っていましたが、彼らの出現を機に次第に変化を遂げたそうです。

そして第2次世界大戦後に端を発する現代陶芸になると、戦争前とは全く異なる新たな価値観に基づいて創作活動が行われるようになったそうです。
かつては焼き場(作品を焼成する場所)を女人禁制とする窯元も少なくなかったようですが、現代では女性の陶芸家も珍しくなくなりました。
また、一人の作家で制作工程を一貫して行うことが当たり前となり、今日の「作家」像が確立された、というお話でした。

ご自身の作品が掲載された「日展ニュース」を示しながら
解説される禮石さん

加えて、公募展の思い出についてお話いただきました。
公募展の審査員を務める際は、勉強会に参加して事前に出品者の作風把握に努めていたこと、審査の際は5回見直しを行っていること、また公募展は初入賞後が難しいなどなど、作家さんならではのエピソードを伺うことができました。

※「博物館における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」に基づき、参加者の検温、人と人とが触れ合わない間隔の確保、定期的な換気などの対策を行った上でイベントを実施しています。