
現在開催中の「素描と版画展」では、
展示作品42点のうち24点が初展示となる木下貴雄のスケッチです。
’アトリエの行者’とよばれた孤高の画家 木下貴雄。
会期中は、木下貴雄の作品集(A4版 101頁)も販売しています。
(¥1,800 → ¥1,500)
内容は今回の企画展ではなく、2013年に「木下貴雄画業顕彰実行委員会」によって発行された作品集です。
スケッチ、水彩、油彩の作品群を通して木下貴雄の画業を辿ることのできる内容です。
購入ご希望の際は受付までお声がけ下さい。
現在開催中の「素描と版画展」では、
展示作品42点のうち24点が初展示となる木下貴雄のスケッチです。
’アトリエの行者’とよばれた孤高の画家 木下貴雄。
会期中は、木下貴雄の作品集(A4版 101頁)も販売しています。
(¥1,800 → ¥1,500)
内容は今回の企画展ではなく、2013年に「木下貴雄画業顕彰実行委員会」によって発行された作品集です。
スケッチ、水彩、油彩の作品群を通して木下貴雄の画業を辿ることのできる内容です。
購入ご希望の際は受付までお声がけ下さい。
昨日をもって「没後40年寺尾作次郎美学の系譜」展は無事終了いたしました。
多くの方にご来場いただき、ありがとうございました。
寺尾作次郎をご存じなかった方。
陶芸家として知っていた方。
記憶の彼方から呼び起こして思い出してくれた方。
多くの方々から嬉しいご感想をいただき、
再び寺尾作次郎ブームが訪れることを心密かに期待しています。
河童像は川内歴史資料館で常設展示されておりますので、
また、そちらにもぜひ足をお運び下さいね。
いよいよ本日「没後40年寺尾作次郎美学の系譜」展の最終日です。
最後にご紹介するのは河童の作品たち。
旧川内市役所に設置されていた噴水の河童像をはじめ、河童をモチーフとした作品が多く残されています。
寺尾作次郎の出身地、北九州市の若松区は古くから河童伝説が有名で
現在の若松区マスコットも河童です。
若松出身の芥川賞作家・火野葦平の旧邸「河伯洞」も、河童の棲む家という意味だそうです。
きっと幼い頃から河童が身近な存在だったのでしょう。
どこか憎めない、愛らしい河童たちに会いに来て下さい。
寺尾作次郎は図案家でもあったので、常に懐に図案帳を忍ばせ、思いつくまま鉛筆を走らせていたそうです。
ご家族のところに大量に残されてている図案帳の、ほんの一部ですがご紹介しています。
また、明治時代、大正時代に作品として発表された図案も展示しています。
令和の時代でもまったく古さを感じないおしゃれな図柄ばかりです。
撮影は自由なので、お気に入りの図案が見つかったら、写真に撮ってみてくださいね。
先日、KTS鹿児島テレビのKTSライブニュースから
「没後40年寺尾作次郎 美学の系譜」展の取材がありました。
アナウンサーの美川愛実さんは美術に大変造詣が深くて
こちらのつたない説明を上手にまとめてくださいました。
放送は12月5日(木曜日)18:00~の予定です。
ぜひご覧下さい。
「貢戸棚」昭和9年(東京時代)
長さ九尺(約2m70cm) 奥行三尺(約90cm)
本作品は昭和9年、毎日新聞社の記者で俳人の小野賢一郎氏の依頼により
東伏見伯爵家へご成婚祝の献上品として制作された書棚です。
表扉から横、背面まで革張り細工が施され、琉球王府の江戸上りがモチーフとなっています。下絵が彫られた版木に革を打ち付けて図柄を浮き上がらせ、その上に金箔を敷いてから彩色がされているそうです。これは、経年とともに渋い味わいが出ることが計算された手法です。
革細工に使用された版木とその下絵はすべて残っていますが、本展では表扉の4枚を展示しています。
「窯変鳥葡萄文扁壺」昭和34年 鹿児島工業試験場時代「武町鹿窯」銘
この作品は原良町にあった工業試験場が武町に移転した年に製作されました。寺尾はこの年に定年退職していますので、工業試験場時代の最晩年の作品になります。
作品名にあるように、正面に鳥、横に葡萄の貼付文(本体とは別に作って置いた飾りを粘土で貼付ける技法)が施されています。
その上から数種類の釉薬を掛け分けていて、窯変(窯で焼成中に起こる変化)による景色も味わい深い作品です。
本作品は「扁壺」といって、上から見ると楕円になっています。(横から見ると正面より薄い)
寺尾は、河井寛次郎のもとに二年ほど入門していますが、扁壺は河井寛次郎も好んで製作していました。
さて、実は、本作品の特徴は底の部分にあるのです。
この作品、高さ50cm、幅40cmの大きな壺で、重量は一度置いたらなかなか動かすことは無い重さです。しかし、寺尾はその底部に美しい陽刻(模様を浮かび上がらせるように彫ること)の花文様と白い釉薬を施しているのです。
寺尾作次郎の作品には、まず人目に触れることはないであろう箇所にも趣向を凝らしたものが、いくつもあります。展示している絵皿なども、裏に素敵な絵付けをされているものが多く、全てお見せできないのが残念です。
「染付陶家文水指」紫原鹿窯(昭和43年~59年)
こちらは染付(呉須とよばれる藍色の釉薬で文様を施したもの)で
陶家(陶芸家、焼物の窯の様子)を描いた水指になります。
この絵付けは、面相筆(めんそうふで)という日本画で人物の目鼻立ち(面相)を描くときに使われる大変細い筆で緻密に描かれています。
寺尾作次郎は18歳で画家の和田三造に入門し、日本画、図案などを学んだので、面相筆使いはお手のものだったようです。
寺尾が昭和4年~14年まで図案家として務めていた松坂屋の松坂屋史料室には、昭和13年に模写した「源氏千載ひながた」の下巻が残されていますが、
その筆致も大変精密で、寺尾の画力に驚かされます。
展示室にはスケッチブックも展示していますので、寺尾の画家としての一面もお楽しみ下さい。
「貼付獅子文革壺」昭和12~14年
こちらの作品は、作品名のとおり革製の壺になります。
地肌が一見すると木目のように見えるので木製の壺に見えますが
水牛の革を叩き上げて壺を成形した作品です。
浮き出ている装飾文は文様を彫った版木に(凹)に
革を叩き付けて浮き上がらせ(凸)膠で貼付けてあります。
寺尾作次郎の京都時代の作品です。
そしてこちらは、「彩色蓋付革壺」昭和11年以前 です。
同じく革製の壺ですが、寺尾作次郎の東京時代の作品で
蓋付きの壺になります。
製法は貼付獅子文革壺と同じですが、こちらは全体に胡粉を塗り
その上に絵付けをしています。
併せて図案も展示していますので、壺の図柄と見比べてみて下さい。
こちらの作品は昭和15年に製作された、鹿児島では初公開の
「鶏と鶏頭花屏風」(染色・インド綿)です。
右側の鶏の図柄は本展のポスター・チラシにも採用しています。
本作は、鹿児島に来る前は染色家としても活躍していた寺尾の集大成ともいえる作品で、昭和15年に開催された皇紀2600年奉祝美術展で入選、展示されました。
鶏の図柄や屏風の上下には異国情緒を感じる文様が施され、84年経った今でもみずみずしく洒落た作品です。
昭和15年は松坂屋京都支店考案部に勤務していた寺尾が、鹿児島県工業試験場の窯業部長に招聘された年にあたり、製作は京都、出品は鹿児島からになりました。
図案家でもある寺尾らしく屏風の図案がいくつも残されていて、最終的にそれらの中からこの図案になったようです。(図案も併せて展示しています)
そして、本作品をもって寺尾は染色をすることはありませんでした。
寺尾作次郎の最後の染色作品をぜひご覧下さい。