「没後40年寺尾作次郎 美学の系譜」展より 作品紹介5

「窯変鳥葡萄文扁壺」昭和34年 鹿児島工業試験場時代「武町鹿窯」銘

この作品は原良町にあった工業試験場が武町に移転した年に製作されました。寺尾はこの年に定年退職していますので、工業試験場時代の最晩年の作品になります。

作品名にあるように、正面に鳥、横に葡萄の貼付文(本体とは別に作って置いた飾りを粘土で貼付ける技法)が施されています。
その上から数種類の釉薬を掛け分けていて、窯変(窯で焼成中に起こる変化)による景色も味わい深い作品です。
本作品は「扁壺」といって、上から見ると楕円になっています。(横から見ると正面より薄い)
寺尾は、河井寛次郎のもとに二年ほど入門していますが、扁壺は河井寛次郎も好んで製作していました。

さて、実は、本作品の特徴は底の部分にあるのです。

この作品、高さ50cm、幅40cmの大きな壺で、重量は一度置いたらなかなか動かすことは無い重さです。しかし、寺尾はその底部に美しい陽刻(模様を浮かび上がらせるように彫ること)の花文様と白い釉薬を施しているのです。
寺尾作次郎の作品には、まず人目に触れることはないであろう箇所にも趣向を凝らしたものが、いくつもあります。展示している絵皿なども、裏に素敵な絵付けをされているものが多く、全てお見せできないのが残念です。

「没後40年寺尾作次郎 美学の系譜」展より 作品紹介4

「染付陶家文水指」紫原鹿窯(昭和43年~59年)

こちらは染付(呉須とよばれる藍色の釉薬で文様を施したもの)で
陶家(陶芸家、焼物の窯の様子)を描いた水指になります。
この絵付けは、面相筆(めんそうふで)という日本画で人物の目鼻立ち(面相)を描くときに使われる大変細い筆で緻密に描かれています。


寺尾作次郎は18歳で画家の和田三造に入門し、日本画、図案などを学んだので、面相筆使いはお手のものだったようです。
寺尾が昭和4年~14年まで図案家として務めていた松坂屋の松坂屋史料室には、昭和13年に模写した「源氏千載ひながた」の下巻が残されていますが、
その筆致も大変精密で、寺尾の画力に驚かされます。

展示室にはスケッチブックも展示していますので、寺尾の画家としての一面もお楽しみ下さい。

「没後40年寺尾作次郎 美学の系譜」展より 作品紹介③

「貼付獅子文革壺」昭和12~14年

こちらの作品は、作品名のとおり革製の壺になります。
地肌が一見すると木目のように見えるので木製の壺に見えますが
水牛の革を叩き上げて壺を成形した作品です。
浮き出ている装飾文は文様を彫った版木に(凹)に
革を叩き付けて浮き上がらせ(凸)膠で貼付けてあります。
寺尾作次郎の京都時代の作品です。


そしてこちらは、「彩色蓋付革壺」昭和11年以前 です。

同じく革製の壺ですが、寺尾作次郎の東京時代の作品で
蓋付きの壺になります。
製法は貼付獅子文革壺と同じですが、こちらは全体に胡粉を塗り
その上に絵付けをしています。
併せて図案も展示していますので、壺の図柄と見比べてみて下さい。

「寺尾作次郎 美学の系譜」展より 作品紹介2

こちらの作品は昭和15年に製作された、鹿児島では初公開の
「鶏と鶏頭花屏風」(染色・インド綿)です。
右側の鶏の図柄は本展のポスター・チラシにも採用しています。

本作は、鹿児島に来る前は染色家としても活躍していた寺尾の集大成ともいえる作品で、昭和15年に開催された皇紀2600年奉祝美術展で入選、展示されました。
鶏の図柄や屏風の上下には異国情緒を感じる文様が施され、84年経った今でもみずみずしく洒落た作品です。

昭和15年は松坂屋京都支店考案部に勤務していた寺尾が、鹿児島県工業試験場の窯業部長に招聘された年にあたり、製作は京都、出品は鹿児島からになりました。
図案家でもある寺尾らしく屏風の図案がいくつも残されていて、最終的にそれらの中からこの図案になったようです。(図案も併せて展示しています)

そして、本作品をもって寺尾は染色をすることはありませんでした。
寺尾作次郎の最後の染色作品をぜひご覧下さい。




ご自由にお持ち帰りいただけます

「没後40年寺尾作次郎 美学の系譜」展のポスターには
寺尾作次郎の振袖図案(左)と染色屏風(右)を配してあります。

こちらのポスターの在庫がまだ少しありますので
ご所望の方にお譲りできるよう、展示室にご用意しています。

数に限りがありますが、ご自由にお持ち帰りくださいね。

「寺尾作次郎 美学の系譜」展 より作品紹介1

「没後40年寺尾作次郎 美学の系譜」展の会期中、展示している作品を少しご紹介していきます。
本日ご紹介するのは、第1会場の入口に展示している
「呉須辰砂魚文扁壺」(ごすしんしゃぎょもんへんこ)です。
「呉須」(紺)と「辰砂」(赤)は図柄を描いている釉薬の名前。
「魚文」は魚の絵付がされている、という意味です。
「扁壺」とは扁平に作られた壺のことで、横から見ると平べったくなっています。
この扁壺の形は寺尾作次郎が師事した陶芸家の河井寛次郎も好んで作っている形です。

「呉須辰砂魚文扁壺」昭和44年 紫原鹿窯 三宅病院新築落成祝の作

鹿児島に来る前の東京、京都時代は図案家として活躍していた寺尾作次郎。
この作品の図案もちゃんと残っています。

図案も併せて展示していますので、扁壺の図柄と見比べてみて下さいね。

タニヤマアートシーンの作家たち(14)

最終回となります第14回は、鹿児島県美術協会会長で谷山在住の祝迫正豊先生の作品を紹介いたします。

祝迫正豊「時の狩人、時空」
2024年 油彩/キャンバス

「時の狩人」シリーズとは、コロナ禍の中で感じた印象を錦江湾の上に浮かぶ「岩盤」で表現したことに始まるシリーズです。
 ある日ご自宅(錦江湾がよく見えるそうです)からの景色を眺めていたとき、錦江湾の上に巨岩が浮かんでいるイメージが頭に浮かび、コロナウイルス流行という未曾有の事態のなかで感じた事柄を描きとどめるべく制作を始めたそうです。
 コロナウイルスの流行の収束とともに画面にも変化がみられ、本作品では錦江湾や桜島の姿は見られないようです。かわって、「岩盤」と魚のフォルムをした「もや」という対照的なイメージのモチーフが描かれています。重量感のある岩盤と雲のように軽いもやが、ともに七色の光を帯びながら浮遊する、非日常的な世界観に鑑賞者が包まれていくような作品です。

タニヤマアートシーンの作家たち(13)

第13回は、ステンドグラス作家・田中千紘さんの作品「海の星」です。

 田中千紘「海の星」
2022年 ステンドグラス

田中千紘さんは教室開催とともに現代アートとしてのステンドグラス作品を南日本美術展等の公募展に出品するほか、霧島アートの森や南溟館などで積極的に作品発表を行っていらっしゃいます。
 本作品は枕崎のカトリック教会にインスピレーションを得て制作されたもので、タイトルは「海の星」という教会の別名に由来しています。
 ステンドグラス教室の生徒さんのつながりでミサに参加したところ、雰囲気や教会から見える海の景色の綺麗さに心を動かされ、制作に至ったそうです。
 花が咲き誇る丘の上に建てられた教会やオリーブの木を星空や海のイメージが取り囲み、天上から天使が見守るといった、小宇宙のようなスケールを感じさせる作品です。

 ステンドグラスの制作技法はケイム(溝のある鉛線)にガラスをはめ込む技法〈ケイム技法〉と、銅箔のテープをガラス側面に巻いてはんだ付けでつなぎ合わせる技法〈ティファニー技法〉の2種類がありますが、本作品は両方の技法で構成されています。円状の部分の内側がティファニー技法、その外側がケイム技法となっています。
 ティファニー技法の部分には、管状のガラスを刻んだものをガラス窯で焼いてつなぎ合わせたり、魚の形の金属パーツをガラスの中に焼き込んだりして制作されたオリジナルのガラスが散りばめられています。

タニヤマアートシーンの作家たち(12)

第12回も、谷山校区の学校に勤務されている先生の作品を紹介いたします。

濵元良太「そんな日」2024年 油彩・キャンバス

鹿児島情報高等学校教諭の濵元良太先生は、南日本美術展や県美展を活躍の場とされ、現在は鹿児島県美術協会会員です。
橋のような構造物を背景に、各々異なる方向に眼差しを向ける3人の女性像。重厚なマチエールに半ば同化するように描かれている様子をみると、空想、あるいは記憶の中の人物を描いているようにもみえます。
身体のデッサンを大切にしている作家さんならではの、人物の持つ静かながら、確かな存在感を感じていただきたいです。

タニヤマアートシーンの作家たち(11)

第11回は、谷山校区の学校に勤務されている先生の作品を紹介いたします。

田渕義弘「島の童」
FRP・合成漆

鹿児島市立谷山中学校教諭の田渕義弘先生は、日展・白日展で多数入選され、現在は白日会会友です。
本作品はタイトルのとおり、奄美大島の学校在任中に生徒をモデルとして制作された作品です。元気でおしゃべりな生徒だったそうで、作品もどこか喋りたそうな雰囲気です。中学生ならではの瑞々しい雰囲気や、モデルの真っすぐな内面まで伝わってくるような作品です。