所蔵品展「四季の使者―画家をとらえた草花たち―」および「花に彩られたやきもの」、海老原喜之助コーナーにて下記の作品を展示中です。

※海老原喜之助「雪景」「男の顔」「スケート」は、現在展示しておりません。
所蔵品展「四季の使者―画家をとらえた草花たち―」および「花に彩られたやきもの」、海老原喜之助コーナーにて下記の作品を展示中です。
※海老原喜之助「雪景」「男の顔」「スケート」は、現在展示しておりません。
鹿児島市清水町にある多賀山公園は、
矢上氏の一族,長谷場氏が1053年頃に築いた山城「東福寺城」跡地として、
また、日露戦争でバルチック艦隊を日本海海戦で全滅させた
鹿児島の生んだ聖将東郷平八郎の墓があることで有名です。
その銅像の下の広場には元帥東郷平八郎の墓があります。
実際に東郷平八郎が眠っているのは多磨霊園ですが、こちらには遺髪が安置されています。
昭和9年7月18日夜8時に公会堂(現鹿児島中央公民館)におて納棺祭、
翌19日朝6時30分から出棺祭が執り行われたそうです。
そして、その東郷元帥の遺髪を納める遺髪壺が、初代長太郎によるものなのです。
鹿児島朝日新聞(現南日本新聞)の昭和9年7月18日朝刊では、
「白薩摩焼の東郷元帥遺髪壺ー高さ九寸直径五寸五分」
の見出しで以下のように紹介されていました。
「世界的聖雄東郷元帥尊い遺髪を入れる納髪壺は
谷山町の有山長太郎氏が丹精を込めて謹製せるものであるが
釉質は白鷺の如く純白で、高さ九寸直径五寸五分の立派な白薩摩焼である。
之を白羽二重で包んで銅線を以て結び
其の着け目をハンダーで着ける筈である」
*九寸…約27㎝ 五寸五分…約16.5cm
また、同日の鹿児島新聞朝刊によると、
「表面に 昭和九年七月十八日謹葬 元帥東郷平八郎遺髪 鹿児島県 鹿児島市
と刻み込まれている」
とあります。
(長太郎焼の遺髪壺:昭和9年7月18日鹿児島新聞朝刊より)
長太郎焼というと、今までご紹介してきたような赤褐色の焼物をイメージしますが、
初代長太郎は、晩年まで注文があると立派な白薩摩焼の品も焼いていました。
今回は、身近な長太郎焼というより、意外な長太郎焼のご紹介でした。
本日ご紹介する身近な長太郎焼は、谷山支所の陶銘版です。
こちらは鹿児島市立谷山小学校前にある谷山支所です。
道路に面した正面玄関の生垣に「鹿児島市役所谷山支所」という銘板があります。
この陶銘板も長太郎焼です。
⑤でご紹介した如意山清泉寺長太郎焼窯元の有山明宏氏によるものです。
明宏氏の父で二代長太郎正夫は、一枚板で製作したかったようですが、
割れてしまうリスクを考慮して現在の一文字ずつの形になったそうです。
「開窯120年長太郎焼展」は終了しましたが、
長太郎焼の情報はこれからも随時ご紹介していきたいと思います。
本日ご紹介するのは、まずこちら。
谷山中央1丁目にある谷山サザンホールの前の歩道です。
国道225号線から300mほど続く歩道ですが、
よく見ると一部違った色のタイルでデザインが施されています。
実はこの赤褐色のタイルは、長太郎焼なのです。
如意山清泉寺長太郎焼窯元の有山明宏氏によって焼かれました。
雨の日でも滑らず、人に踏まれても割れないタイルを焼くのに苦心されたそうです。
晴れている日と雨の日では、長太郎焼のタイルの色が変わりますので、
ぜひ歩いて見つけてみてくださいね。
そして、もう一つはこちら。
国道225号線の谷山港区入口交差点の先にある、松林寺公園の横を流れる和田川に掛かっている潮見橋です。
以前は明治23年に架けられた三連アーチの石橋でしたが、老朽化にともない平成20年に現在の橋に架けかえられました。
この橋の陶銘板を製作したのも如意山清泉寺長太郎焼窯元の有山明宏氏です。