先日、龍門司焼次郎太窯の川原輝夫氏にギャラリートークで龍門司焼の歴史についてもお話いただきました。
その中で、龍門司焼の陶祖といわれる山元碗右衛門という陶工の名前が出てきました。
山元碗右衛門は鹿児島城下で瓦を焼いていましたが、加治木島津家に招かれ、現在の安国寺あたりに山元窯を開きます。そこでは御用窯として、白土で高級な皿や碗などを焼いていたそうです。
その後、小山田に良質の土が見つかり、享保3年(1718)頃に龍門司焼古窯(鹿児島県指定史跡)に窯を移します。初めは白土を使っていたようですが、地元の赤土に化粧土を掛ける現在の龍門司焼の様式となり、日用品を焼き現在に至ります。
その山元碗右衛門はじめ、龍門司焼の陶工たちの墓が扶蔵院墓地にあります。
左が山元碗右衛門の墓 真ん中は妻の墓
龍門司焼の名工 芳工や、「椋鳩十と薩摩伝統工人たち」で紹介している芳次や芳光の墓もあります。
芳工の墓(五輪塔)
場所は陶夢ランドの前になりますので、龍門司焼を見に行かれる際に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。