海老原喜之助と馬との関わり (「馬と一緒」vol.2) 

 「馬と一緒展」では、馬をモチーフとした計21点の絵画作品を展示しています。このように馬の絵が一堂に並ぶ展覧会は県内では珍しく思われるかもしれませんが、全国レベルでは毎年行われており、ファンの多い展覧会テーマであるようです。

 近年では坂本繫二郎や神田日勝(NHK 連続テレビ小説「なつぞら」の登場人物、「山田天陽」のモデルとなった人物)による馬モチーフ作品の展覧会が開催されています。これらの画家の外にも東山魁夷、加山又造〈日本画〉、猪熊弦一郎、山口薫〈洋画家〉など馬を盛んに描いた画家は数多く、日本の多くの画家に愛されてきたモチーフであることを物語っています。当館を代表する収蔵画家・海老原喜之助もその一人であり、馬を題材とした多くの傑作を残しました。

 海老原の生家は鹿児島市住吉町で海産物問屋を営んでおり、周辺では荷馬車が忙しく往来していたことから馬への愛着が育まれたようです。幼少期には腹の下をくぐる、尻尾の毛を抜いた後トンボをくくって遊ぶなど、少々危険な遊びにも興じていました。また一人で馬に乗ることもできたそうです。

 馬は単に親しい存在のみならず、海老原の運命を決定づけた存在でもありました。4歳のころ海老原は自宅先で荷馬車馬にひかれ、左足先に変形が残る大怪我を負いました。この怪我が原因で熊本陸軍幼年学校の入学試験に不合格となり、軍人志望から画家志望へと進路を転換することになりました。海老原を画家への道に誘ったのも、また馬だったのです。

 重い怪我を負ったにも関わらず、海老原は生涯を通じて馬に格別の愛着を抱いていました。特に荷馬車馬のような日本在来種の馬が好きだったようで、対談等でたびたびその魅力を語っています。戦後身の回りで馬を見る機会が減ってからは、テレビの西部劇に登場する馬も熱心に見ていたようです。また、馬にまつわる歴史・民俗・美術について博識で、同じく馬好きで有名な坂本繫二郎とは、午年に新聞社の依頼で馬談義の対談を行っています(熊本日日新聞昭和29年1月1日付記事)。紙面をみると、海老原が鹿児島の馬の歴史について詳しかったことがよく分かります。

 特別な存在でもある馬を、海老原は様々な思いを込めて描いてきました。次回は海老原作品における馬の役割について紹介します。 

展示風景

馬にスポットを当てる理由(「馬と一緒」vol.1)

 午年でもない本年になぜ「馬」にスポットを当てた企画展を行うのか、不思議に思われた方もいるのではないでしょうか。実は、当館は収蔵作品や立地の点で何かと馬と縁があります。

・馬を主題とする収蔵作品が多い
 当館を代表する収蔵作家・海老原喜之助は、荷馬車が忙しく行き交う港町で生まれ育ったことから馬に格別の愛着を持ち、自らの分身として生涯にわたり描き続けたことで知られています。収蔵作品でも様々な時期・画風の作品がみることができます。また、海老原のほかにも芝田米三、上橋薫ら馬を描いたことで著名な画家の作品があります。

・近年まで馬が身近な存在だった地域に立地
 当館周辺は谷山街道と伊作街道が交差し、古くは荷馬車屋・蹄鉄屋・馬喰(家畜商)など馬関係の店が立ち並ぶ場所でした。このような背景から、2000年代前半(区画整理事業の開始以前)まで住宅街の中でも馬を飼う風景がみられる、馬が身近に存在した地域でした。
 谷山地区自体、明治時代には日本に数ヶ所しかない軍馬育成所(陸軍軍馬の育成所)が慈眼寺におかれ、競馬に持ち馬を出走させる人が多く、昭和40年代までは馬踊りが行われるなど、馬が様々な場面で活躍してきた地域です。

 区画整理事業により、谷山駅周辺の街並みは日々変化しています。道路の再整備により交通の便が良くなった一方、昔からの街並みが姿を消し、土地の歴史に思いを馳せることが難しくなりました。また年月が経過するにつれて、谷山の昔の姿を知る方も少なくなりつつあり、郷土谷山のあゆみを記録する必要性が年々高まっています。

 こうした現状を踏まえ、今回の展覧会では馬を主題とした作品の展示にあわせて、「馬の郷土史」を調査・記録することにしました。「美術×歴史×民俗」という当館では珍しいジャンルの展覧会ですが、関心を持っていただければ幸いです。