初代長太郎のレリーフ

「椋鳩十と薩摩伝統工人たち」では「薩摩伝統工人伝」に紹介されている工人12名の作品や資料を展示しています。 その中で椋鳩十に「日本の陶芸家の中にあっても、光芒をはなつ存在であった」と評されているのが初代長太郎です。 本展 …続きを読む

初代長太郎が出会った太っ腹な明治女性

有山長太郎が谷山に窯を開くことになったのは →本窯跡碑ある太っ腹の女性と出会ったことがきかっかけでした。 もともと白薩摩の絵付け師であり,古薩摩の研究をしていた長太郎でしたが,黒薩摩の方がより自由に表現できると思い理想と …続きを読む

「人物の焼物」展のご案内

「物語る身体」展にあわせ、神々や人物をモチーフとした「人物の焼物」展を開催いたします。浦島太郎や高僧、天上の神々に題材をとった格調高い捻物(薩摩焼の人形)や、彫刻を思わせるリアルな表現が印象に残る初代長太郎作の羅漢像など …続きを読む

身近にある長太郎焼⑦

鹿児島市清水町にある多賀山公園は、 矢上氏の一族,長谷場氏が1053年頃に築いた山城「東福寺城」跡地として、 また、日露戦争でバルチック艦隊を日本海海戦で全滅させた 鹿児島の生んだ聖将東郷平八郎の墓があることで有名です。 …続きを読む

本窯長太郎焼窯元の見学をしました

谷山の歴史を勉強しているグループの皆様と、本窯長太郎焼窯元の見学へ行ってまいりました。 四代長太郎長佑さんに、作品制作中の工房や 窯場をご案内いただいた後、 長佑さんの作品に囲まれながら、初代長太郎が亡くなる昭和15年( …続きを読む

「この一品」より①

朝日新聞(9月5日付)の「この一品」に初代長太郎と長太郎の絵付けの師匠である 郡山静遊庵と共作の花器「唐子図龍文貼付花器」を紹介させていただきました。 本作品は、当館1階展示室の最初に展示しています。 掲載承諾番号「19 …続きを読む

長太郎焼 5

昭和27年、二代長太郎正夫は揖宿郡より指宿陶磁器研究所の主任に任命され、 現在の指宿長太郎焼窯元の地に研究所を開き、指宿の原料で焼物の研究を始めます。 昭和32年に弟の流石(さすが)に後任を譲り本窯へ戻り、 昭和35年流 …続きを読む

長太郎焼 3

大正12年、東京白木屋百貨店での展覧会が好評をえたことで、鹿児島の山形屋でも長太郎焼展覧会を開催するにいたりました。鹿児島でも新薩摩焼として長太郎焼は好評を得、長太郎窯はようやく軌道に乗ることとなります。 大正12年の1 …続きを読む

長太郎焼 2

【初代長太郎創業の地】(谷山中央2丁目) 自分の窯を開き、試行錯誤を重ねて理想とする焼物を追及する長太郎でしたが、生活のために開窯初期は錦手を施した白薩摩や古薩摩を模した茶碗などを作っていたそうです。 その時期の作品には …続きを読む

身近にある長太郎焼①

以前に、鹿児島市役所本庁の初代長太郎作レリーフと ぴらもーるの三代長太郎流石作のレリーフをご紹介しましたが、 まだまだ身近にある長太郎焼をご紹介していきたいと思います。 今回は当館の目と鼻の先の谷山小学校にある長太郎焼( …続きを読む