1F – 焼き物展示室

三宅美術館の主な焼き物収蔵品をご紹介します。

竪野系(たてのけい)

島津義弘は朝鮮から連れ帰った金海(星山仲治)に姶良町に宇都窯を開かせた後、瀬戸地方で茶陶技法を学ばせ、加治木に移り住み開いた帖佐の御里窯で茶道具を焼かせた。1619年義弘が死去。1620年家久(初代藩主)は居城(鹿児島城)城下に金海を呼び竪野冷水に藩窯を築かせた。これが冷水窯で、これに続く長田窯、稲荷窯、磯御庭窯等の系列が竪野系統である。この系統は古帖佐を承継しながら京焼や有田焼の技法を導入し、薩摩の焼物の系譜の中枢を担った。この系統には上記のほか薩英戦争により破壊された磯御庭焼窯の再建を企図して築かれた磯の仙巌窯、田之浦窯、長太郎窯等がある。

白薩摩無地獅子置物
白薩摩無地獅子置物
宋胡録手象耳花瓶
宋胡録手象耳花瓶
色絵金襴手花鳥文大花瓶
色絵金襴手花鳥文大花瓶

元立院焼(げんりゅういんやき)

元立院窯は西餅田窯とも呼ばれ、修験者 小野元立によって姶良町西餅田に開窯された。肥前の陶工を指導者として寛文3年(1663)に始まり、延享3年(1746)に閉窯したと考えられている。さまざまな日常品が焼かれ、中でも厚い釉薬を二重に掛けた白蛇蝎釉・黒蛇蝎釉などが有名である。

黒釉竹形花生
黒釉竹形花生
どんこ釉花瓶
どんこ釉花瓶
黒釉筒花生
黒釉筒花生

龍門司焼(りゅうもんじやき)

文禄・慶長の朝鮮出兵の際、島津義弘が朝鮮から連れて帰った陶工により古帖佐焼が始まり、その流れをくんで、元禄の始め山元碗右衛門が加治木町の龍門司で開窯したのが龍門司焼である。甘酒徳利やカラカラ等大衆の日用品が多く焼かれ、三彩、玉流し、鮫肌、三島手など多彩な技法に飛び、中でも三彩釉の技法は県の無形文化財に指定されている。

黒釉玉流し香炉
黒釉玉流し香炉
三彩釉瓢形徳利
三彩釉瓢形徳利
芳工赤徳利
芳工赤徳利

苗代川焼(なえしろがわやき)

朝鮮出兵で島津義弘が連れて帰った陶工 朴平意を中心とし、現いちき串木野市島平の地に窯を開き、後に苗代川に移住。慶長10年(1605)頃、薩摩藩の保護を受け元屋敷窯を始めたと推定されている。以来、今日まで約400年の歴史を持つ。特色としては、庶民の生活用具としての‘くろもん(黒物)’と、藩の御用窯として錦手、金襴手、透し彫り等の優れた技法を用いた‘しろもん(白物)’がある。華麗な錦手や金襴手は、パリ万博、ウィーン万博への出品によって欧米で名声を博し、薩摩焼を一躍有名にした。

黒釉貼付龍文半胴甕
黒釉貼付龍文半胴甕
金襴手獅子乗武者文大香炉
金襴手獅子乗武者文大香炉
錦手翁像と弁慶像
錦手翁像と弁慶像

平佐焼(ひらさやき)

薩摩の磁器窯の中で、肥前風の染付磁器が多量に作られたのが平佐焼である。平佐郷(現薩摩川内市)の領主 北郷家の御用窯で、白磁に精巧な染付や赤絵、べっ甲手などの優れた製品を世に送り出した。開窯は天明6年(1786)頃といわれ、廃藩置県と共に領主の援助も途絶え、昭和16年平佐の名工 向井勘兵衛の死が終焉といわれている。

色絵花蝶文徳利
色絵花蝶文徳利
べっ甲手竹文水注
べっ甲手竹文水注
染付双耳花瓶
染付双耳花瓶

能野焼(よきのやき)

能野焼は種子島の能野で焼かれていた焼き物で、開窯は宝永〜正徳(1704―1715)と推定されており、明治中期以降、本土からの焼き物に圧倒され廃窯のやむなきに至った。陶土中の鉄分や使用水中の塩分、灰釉等によって生まれた暗褐色を主とする複雑な発色と素朴で力強い造形が特徴。1970年代の民芸ブームで愛陶家の注目を集めた。

褐釉貼付草花文花生
褐釉貼付草花文花生
褐釉尊形双耳花生
褐釉尊形双耳花生
窯変四耳茶壷(蓋付)
窯変四耳茶壷(蓋付)

長太郎焼(ちょうたろうやき)

初代有山長太郎は島津家の磯御庭焼、平佐焼、京都の諸窯に学んだ後、明治32年(1899)当谷山の地に開窯し製陶を始めた。幾多の困難と試練を乗り越え多くの名品を世に送り、その作品はまさに焔の芸術として高く称賛され、大正9年(1920)画家黒田清輝によって「長太郎焼」と命名された。昭和15年(1940)他界。その後二代長太郎正夫、三代長太郎流石、四代長太郎長佑、清泉寺長太郎明宏、指宿長太郎禮石により、窯火は受け継がれ、伝統の上に現代感覚あふれる作品は数々の賞に輝いている。

初代作 羅漢座像
初代作 羅漢座像
二代作 大黒千代香
二代作 大黒千代香
三代作 辰砂釉長首花生
三代作 辰砂釉長首花生