「馬と一緒―画家とともに,谷山(ふるさと)の暮らしとともに―」開催のお知らせ

久しぶりの開館となる秋季企画展では「馬」にスポットを当て、馬を描いた絵画作品やふるさと谷山の馬の歩みを紹介します。

【概要】
海老原喜之助・山口薫・芝田米三・上橋薫・坂田燦ら、馬に特別な思い入れを持つ画家たちによる馬の絵を約20点展示し、画家と馬との関わりを紹介。なかでも半世紀にわたり横たわる姿の馬を描き続けている洋画家・坂田燦氏の油彩作品は、県内では初めての展示となる。
また、明治前期には国内でも数か所しか置かれなかった陸軍軍馬の育成所(軍馬補充部福元支部)が慈眼寺に置かれ、農業や林業、運送で馬が活躍、伊佐智佐神社の浜下りや初午祭(馬踊り)といった祭事にも登場するなど、馬に支えられてきた谷山の歴史・民俗を解説する。

【会 期】 2022年10月8日(土)~2022年12月23日(金)
【会 場】 三宅美術館2階絵画展示室
【入館料】 一般500円、高校生300円、小・中学生200円、70歳以上・障害者手帳保持者100円
【主 催】 一般財団法人三宅美術館
【協 力】 鹿児島市文化芸術活性化補助金採択事業

坂田燦の「おくのほそ道」版画展 終了しました

坂田燦の「おくのほそ道」版画展,無事最終日を迎えることができました。
会期中は多くの方にお越しいただき,ありがとうございました。

当館の企画展では50点の作品を展示いたしましたが
坂田氏の「おくのほそ道」版画制作はまだまだ続きます。
今年の夏は月山に登られたので,次の作品は月山を詠んだ句になるのでしょうか。
どんどん広がる坂田燦の「おくのほそ道」の世界を想像するだけでワクワクします。

当館での展示は終了しましたが,「おくのほそ道」版画集はしばらく販売いたします。
お求めを希望の方は受付までご連絡ください。

第4回ギャラリートーク

昨日,坂田燦の「おくのほそ道」版画展の最後のギャラリートークが開催されました。
7月の第1回目から毎回参加され,すっかり坂田燦ファンになった方もいらっしゃいました。

今回のギャラリートークでは,版画の基本となるスケッチのコツについてお話くださいました。
描きたい対象物をどのように観察し描いていけば良いか。
また,全体のバランスと細部の両方に眼を配る「統合と分析」のとはどのようなことなのか,全員で体験しながらとても分かりやすく説明してくださいました。

また,坂田燦氏が「おくのほそ道」の版画を始めるきっかけとなったのは,大学時代の恩師である岡周末(ちかすえ)先生の講話だったそうです。岡先生は東京美術学校で藤島武二教室で学ばれ,卒業後しばらく藤島の紹介で鹿児島の師範学校で教鞭を取られていたそうです。
そして,その藤島武二の生誕150年記念展がこの時期に鹿児島市立美術館で開催されていることに,感慨深そうなご様子でした。

坂田燦の「おくのほそ道」版画展は10月30日(火)までです。

第3回ギャラリートーク

昨日は第3回目の坂田燦氏によるギャラリートークが行われました。
主題は,版画と俳句の共通点について,またそれに気づいたきっかけについて,でした。

坂田氏が版画と俳句に共通点を見出したのは,恩師である「岡周末先生」の講話の中で,芭蕉がいかに俳句を推敲していったか,その過程や意味について,知る機会を得たことがきっかけでした。

例えば,わたしたちが
「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」
として知っている芭蕉の代表句は,そもそもは,違う言葉が並んでおり,数回の推敲を繰り返し,現在の形になったそうです。
それを知った坂田氏は,版画になるまでに何度も推敲を重ねる自らに制作過程によく似ていると感じたそうです。

また,推敲を重ねる過程においては,10あるものを10で表現するものではなく,版画が色を白と黒に限定していくように,または俳句が文字を12音に限定していくように,10あるものを2または3で表現しなければならない点も,版画と俳句は似ているとのことでした。

思いもよらない版画と俳句の共通点に,ギャラリートークに参加されたみなさんは,興味津々のようすでした。

次回は,10/15(日)に行います。
みなさまのご参加をお待ちしております。

坂田燦の「おくのほそ道」版画展より⑥

8月29日高岡を発った芭蕉は,
倶利伽羅(くりから)峠を越えて午後2時ごろ金沢へ入りました。
ここ金沢では弟子の一人,小杉一笑(こすぎいっしょう)に会うことを大変楽しみにしており,着いたら先ず一番に一笑を訪ねようとしていました。

しかし,残念ながら一笑は前年に36歳の若さで亡くなっており,
金沢に到着して一笑の死を知った芭蕉は大変に悲しみました。
そして,9月5日に催された一笑の追善会でこの句を詠んだそうです。

「塚も動け 我泣声(わがなくこえ)は 秋の風」

墓前で私が泣く声は,秋風となって君が眠る塚を動かして,
君の魂まで届いているだろうか…

坂田燦の「おくのほそ道」版画展より⑤

松尾芭蕉の「おくのほそ道」の旅程も半ばを過ぎ
328年前の今頃は新潟県の出雲崎を訪れていました。

「荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがわ)」

(出雲崎の大崎屋宿)

(新潟県直江津の荒海)

この出雲崎は佐渡島への渡船場であり,
佐渡島で採れる金銀の荷上場でもあったので,幕府の直轄地でした。
また,当時はその鉱山の労働力として罪人が送られる流刑地でもありました。

特徴的な三角屋根を持つ「妻入り」と呼ばれる家屋の町並みは今も残っており,
芭蕉が滞在した当時が偲ばれます。

芭蕉はこの句で,昔から変わらぬ荒々しい日本海,
その向こうの闇に沈む流刑地佐渡島
そして夜空に広がる天の河の対比を詠んでいます。

8月も半ばを過ぎているのに天の河?と思われるかもしれませんが,
旧暦ではちょうど七夕の時期に当たるので
きっと天の河が綺麗に見えたことでしょう。

第2回ギャラリートーク

本日は坂田燦氏による2回目のギャラリートークが開催されました。

今回の参加者は,中学生が半分,40代~90代が半分という幅広い年齢層でしたが
初任校での版画教育秘話から海老原喜之助のエピソード,
そして「右利きと左利きと版画」について,「描写」と「表現」の違いについて,など
どの世代が聴いても興味深い内容で,
大人から子供まで真剣に聴き入ったり笑ったりのあっという間の1時間でした。

前回とは違う内容だったので,2度目のご来館の方々も「もっと聴きたい!」
と次回のギャラリートーク参加の予約をしてお帰りになりました。
(ちなみに予約がなくても参加できますのでご安心を。)

本日は前回(50名)を上回る参加者で,座席のご用意が間に合わず
立ち見となってしまったお客様には,大変申し訳ございませんでした。
また9月の作品入れ替えの後にも開催いたしますので(9月17日と10月15日),
十分なお席をご用意して,ご来場をお待ちしております。

ギャラリートークのご案内

8月17日(木)午後2時~
坂田燦氏による「おくのほそ道」版画展の第2回ギャラリートークを開催します。

第1回目では,版画制作のご苦労や俳句との共通点
坂田氏による「おくのほそ道」紀行など興味深いお話に引き込まれました。

第2回目は1回目とは違った切り口でお話くださるそうです。
今回はどのようなお話が聞けるのか楽しみですね。

ギャラリートークは美術館2階絵画展示室で開催いたします。
予約不要。
中学生以下無料。
高校生以上は入館料が必要となります。
(70歳以上100円,高校生300円,大学生以上500円)

ご来場お待ちしております。

坂田燦の「おくのほそ道」版画展より④

寛延21年(1644)伊賀国上野(現在の三重県伊賀市)に生まれた松尾芭蕉は
寛文2年(1662 芭蕉19歳)頃から津藩藤堂良忠に仕え,俳諧に親しむようになりました。
寛文12年(1672)江戸に移り,延宝8年(1680)深川の草庵に転居します。

翌年,門人から贈られた「芭蕉」が俳号の由来となりました。
ちなみに「芭蕉(ばしょう)」とは「バナナ」のことです。

これは江東区芭蕉記念館に生えている「芭蕉」です。
贈られた芭蕉がよく茂ったことから
芭蕉の住んでいた草庵は「芭蕉庵」と呼ばれるようになりました。

しかしこの2年後,芭蕉庵は天和の大火(井原西鶴が「好色五人女」で八百屋のお七の物語のモデルにした火事)で消失してしまいます。

現在,芭蕉庵跡は芭蕉稲荷神社となっています。

安政5年(1858)の「本所深川画図」では,
「松平遠江守」の屋敷の中に「芭蕉庵ノ古跡 庭中二有」と記されています。

これは坂田燦の作品に描かれた芭蕉庵です。
「草の戸も 住替る代ぞ 雛の家」

庵の柱の脇には,当時深川から見えたであろう富士山が描かれています。
舟も当時隅田川を往来していた舟を忠実に再現しているそうです。

さて,焼け出された芭蕉は,門人杉山杉風の別荘である彩茶庵(さいとあん)に移ります。

(彩茶庵跡)
そしていよいよ元禄2年(1689)
弟子の曾良(そら)と共に,この彩茶庵から「おくのほそ道」へ旅立ちます。