台風10号が猛威を振るっておりますが、皆さんのお住まいの地域は大丈夫でしょうか。
当館地区は暴風圏を抜けたようですので、本日より予定通り後期展示で開館しております。
とはいえ、まだしばらく強風が続くようですので、ご来館の際はお気をつけていらしてください。
セミも通常運転で元気に鳴いています。
前期展示は本日まで
「開窯120年 長太郎焼」展
現在の長太郎焼
「椋鳩十と薩摩伝統工人たち」展では、
「薩摩伝統工人伝」に紹介されている工人の技術や伝統を継承している現代の工人も併せて
紹介しています。
昨日ご紹介した西郷隆盛の陶像の作家である二代長太郎雅夫は初代長太郎の継承者であり、
現在は初代の孫にあたる3人の陶工たちによって、それぞれの窯で継承されています。
有山明宏氏による如意山清泉寺長太郎焼窯元(下福元町 清泉寺跡)
明日、2月11日(日曜日)は禮石氏よるギャラリートークを開催いたします。
気軽にご質問などもしてただけますので、ぜひこの機会に足をお運びください。
【ギャラリートーク】
日 時:2月11日(日曜日)午後2時から
会 場:三宅美術館1階展示室
参加費:無料(入館料のみ)
予 約:不要
旧長太郎焼本窯風景
「椋鳩十と薩摩伝統工人たち」展では、工人の作品以外に、工人にまつわる資料も展示しています。
その一つが旧長太郎焼本窯の風景画です。
土岐浩藏の油彩画で、昭和33年頃の風景と思われます。
旧長太郎焼本窯は、永田川河口沿い(現在の谷山中央2丁目)にありました。
鹿児島情報高等学校の並び、というとイメージしやすいでしょうか。
今はマンションが建っており、入口には記念碑が建っています→☆
この写真は、風景画を描いたと思われる「しおや橋」から、同じ画角で写したものです。
中央の大きなマンションが長太郎焼本窯があった場所になります。
当時は長太郎窯から先は錦江湾でしたが、昭和42年から埋め立てが始まり、
今では海岸線は遥か彼方へ行ってしまいました。
しおや橋は人道橋で車は通ることはできない生活橋ですので、お散歩がてら昔の長太郎窯を想像しながら渡ってみてください。
【指宿長太郎焼窯元 有山禮石氏ギャラリートーク】
日時:2月11日(日曜日)午後2時から
会場:三宅美術館1階展示室
予約:不要
参加費:入館料のみ
三代長太郎流石のレリーフ
前回は初代長太郎の鹿児島市役所本庁のレリーフをご紹介しました。
本日は初代長太郎の息子で三代長太郎流石(さすが)氏のレリーフをご紹介します。
これは、鹿児島市天文館のアーケード(ぴらもーる)内にある手芸店の正面入口です。
ちょっと画像が不明瞭なので恐縮ですが、長太郎焼の黒釉を背景に沢山の鶴が舞っています。
1500枚を超える長太郎焼のタイルによるモザイク調のレリーフで、実物はかなり迫力があります。
大きさは建物の2階から3階にかけて設置されているので縦5~6mはあるでしょうか。
当時、この大きさのレリーフ制作を請け負ってくれる陶工がなかなか見つからず、
引き受けてくれたのは流石氏しかいなかったとか。
今度ぴらもーるにお出かけになる際は、ぜひ上に目線を向けてみてくださいね。
2月11日(日曜日)は、このレリーフの制作者流石氏の息子で指宿長太郎焼窯元の有山禮石氏によるギャラリートークを開催いたします。
【ギャラリートーク詳細】
日時:2月11日(日曜日)午後2時から
会場:三宅美術館1階展示室
予約:不要
参加費:入館料のみ
初代長太郎のレリーフ
「椋鳩十と薩摩伝統工人たち」では「薩摩伝統工人伝」に紹介されている工人12名の作品や資料を展示しています。
その中で椋鳩十に「日本の陶芸家の中にあっても、光芒をはなつ存在であった」と評されているのが初代長太郎です。
本展では初代長太郎の「羅漢坐像」を展示していますが、私たちの身近なところでも初代長太郎の作品を見ることができます。
これは鹿児島市役所本庁舎の本館です。
本館の正面玄関に丸いレリーフがあるのにお気付きでしょうか。
このレリーフの作家が初代長太郎です。
このレリーフの制作にあたっては大変なご苦労があったようです。
2月11日(日曜日)には、初代長太郎の孫で指宿長太郎焼窯元の有山禮石氏によるギャラリートークを開催いたします。
長太郎焼についてお話いただきますので、ぜひ足をお運びください。
【ギャラリートーク詳細】
日時:2月11日(日曜日)午後2時から
会場:三宅美術館1階展示室
予約:不要
参加費:入館料のみ
歴代長太郎展
初代長太郎(有山長太郎)は明治32年,当谷山の地に開窯しました。
島津家御庭焼の上絵師 郡山喜納太(静遊庵)に入門。
その後,平佐焼の上絵師 大館利左門や京都の陶工 原田氏のもとで2年修行をし,
成形・釉薬の調合と施薬・焼成・薪の差し方など身につけました。
鹿児島に戻ってからは御庭焼研究所で古薩摩・錦手の研究に没頭しますが
黒薩摩によって新境地を開き,独自の焼き物を創造しようと研究所を辞職。
資金難で苦しみながらも思考錯誤を繰り返し,大正9年理想とする作品を焼きあげました。
その独特の焼き物は黒田清輝画伯によって「長太郎焼」と命名され
以後 昭和天皇の御大礼奉祝,秩父宮殿下の御成婚,アメリカ大統領へ献上し,
日本内外から認められる作家となりました。
昭和15年69歳で亡くなってからは,
二代目長太郎正夫,三代長太郎流石,四代長太郎長佑,清泉寺長太郎明宏,指宿長太郎禮石
が長太郎焼の焔を受けついでいます。
会期中、下記の通り展示替えを行います。
◆平成25年9月5日(木)〜10月29日(火)
初代長太郎・二代長太郎正夫
◆平成25年10月31日(木)〜12月24日(火)
三代長太郎流石
◆平成26年1月4日(土)〜2月17日(月)
四代長太郎長佑
清泉寺長太郎明宏
指宿長太郎禮石