坂田燦の「おくのほそ道」版画展より⑤

松尾芭蕉の「おくのほそ道」の旅程も半ばを過ぎ
328年前の今頃は新潟県の出雲崎を訪れていました。

「荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがわ)」

(出雲崎の大崎屋宿)

(新潟県直江津の荒海)

この出雲崎は佐渡島への渡船場であり,
佐渡島で採れる金銀の荷上場でもあったので,幕府の直轄地でした。
また,当時はその鉱山の労働力として罪人が送られる流刑地でもありました。

特徴的な三角屋根を持つ「妻入り」と呼ばれる家屋の町並みは今も残っており,
芭蕉が滞在した当時が偲ばれます。

芭蕉はこの句で,昔から変わらぬ荒々しい日本海,
その向こうの闇に沈む流刑地佐渡島
そして夜空に広がる天の河の対比を詠んでいます。

8月も半ばを過ぎているのに天の河?と思われるかもしれませんが,
旧暦ではちょうど七夕の時期に当たるので
きっと天の河が綺麗に見えたことでしょう。

坂田燦の「おくのほそ道」版画展より③

今から328年前の今日
松尾芭蕉は秋田県象潟町の汐越(塩越)にてこの句を詠みました。

汐越や 鶴はぎぬれて 海涼し

汐越の浅瀬の鶴たちが,海水のしぶきに はぎ(=脛すね=ひざ下からくるぶしまで)
をぬらしながら餌をついばむ姿に涼しさを感じた一句です。

鶴は明治時代までは全国で普通に見られる鳥でした。
鹿児島はナベヅル、マナヅルの90%以上が出水市で越冬するため
今でも大変なじみの深い鳥ですが,現在他の地域では山口県周南市八代以外は
ほとんど見ることはできません。

そして…鶴は少なくとも平安時代から食材として重宝されていました。
17世紀に書かれた『本朝食鑑』にも,一番おいしいのはナベヅル、マナヅルと記載があるそうです。ちなみに絵画に描かれることの多い丹頂鶴は,見栄えはいいですが肉質が硬く食用には向いていないそうです。

「おくのほそ道」から少し話がそれてしまいましたが
今は見ることのできない,秋田の海辺に降り立つ鶴の姿を思い描きながら
この作品をご覧になってみてください。

坂田燦の「おくのほそ道」版画展より②

いよいよ明日から 坂田燦の「おくのほそ道」版画展 が始まります。
初日の明日は,午後2時から坂田燦によるギャラリートーク(作品解説)がありますので
ぜひ時間を合わせてお越し下さい。

さて,本日7月29日。
松尾芭蕉は山形県酒田市の最上川を訪れました。

暑き日を 海にいれたり 最上川
(最上川が一日の暑さまで海に流し込んだのか,
夕日が沈むと辺りが急に涼しくなってきたようだ)

陽が沈みゆく日本海に向かって流れ込む最上川が描かれています。
(*)本作品は後期日程(9月14日~)の展示になります。

酒田市はグリーンフラッシュ(緑の光線)が見られる確率が高いそうですね。
芭蕉も酒田の夕日が沈むとき,グリーンフラッシュを見たのでしょうか。

坂田燦の「おくのほそ道」版画展より①

7月30日(日)から開催の
坂田燦の「おくのほそ道」版画展 の準備が着々と進んでおります。

さて,本日7月24日は,5月16日に「おくのほそ道」に向けて江戸の深川を発った
芭蕉と弟子の曾良(そら)が山形県鶴岡市の湯殿山に入った日です。

その湯殿山で詠まれた句は
語られぬ 湯殿にぬらす 袂(たもと)かな  芭蕉
(神秘の出羽三山(羽黒山,月山,湯殿山)は修験道の山。
浄衣の白装束で歩き,やっと巨岩の頂きから熱湯が噴出する霊岩の御神体にたどり着いた。
他言無用の霊場。ふしぎなありがたさに感動し,涙で袂を濡らしてしまった。)

湯殿山 銭ふむ道の 泪(なみだ)かな    曾良
(参道入口で荷物や草鞋を置いて,裸足で御神体あたりの湯にひたしながら
お賽銭を踏み歩いて参拝。恐れ多い霊山の尊さに感涙した。)

これは,二人の句の情景を作品にした坂田燦の作品です。
芭蕉と曾良が湯殿山に畏敬の念を抱く様子が伝わってきます。
(*)本作品は後期日程(9月14日~)での展示になります