次回企画展のお知らせ

明日より「海老原喜之助展(前期)」がスタートします。
本企画展では、収蔵作品の中から鹿児島出身の画家 海老原喜之助の作品を前期と後期に渡り、一同に展示いたします。
19歳で渡仏しエコール・ド・パリの新鋭と評されたパリ時代、帰国・敗戦までの時代、デッサンに明け暮れた九州時代、新天地での創作に意欲的に臨んだ逗子時代、と年代を追って展示し、海老原喜之助の生涯と時代と共に変化した画風とを重ね合わせながらご覧いただける企画展となっています。
夏休み期間中は、中学生以下の入場は無料となっております。ご家族、お友達同士で是非ご来館ください。


『海老原喜之助展』
会期:(前期)2011年7月23日(土)〜9月25日(日) (後期)2011年9月29日(木)〜12月24日(土)
会場:三宅美術館2階絵画展示室
入館料:一般(高校生・大学生含む)300円(150円)、小・中学生、70歳以上100円(50円)
※(  )は20名以上の団体料金
※夏休み期間中、中学生以下は入場無料
休館日:水曜日(ただし祝日の場合は翌日)
※8月13日(土)〜8月15日(月)は館内整理のため休館 開館時間:午前10時〜午後4時30分

飯倉神社の御田植祭

【開催地】南九州市川辺町 飯倉神社
【開催日】平成23年7月10日

7月10日、豊玉姫神社の水からくりを見た後に
南九州市川辺町にある飯倉神社の御田植祭まで足を延ばしてみました。
飯倉神社は樹齢1200年の川辺の大クス(県の指定文化財・天然記念物)がある神社です。
先ずは神社の境内で棒踊りが奉納されました。


この棒踊りは3つの地区が毎年交代で奉納するそうです。
それぞれ踊りや歌も異なるそうで
今年は松崎自治会の6尺と3尺の棒による踊りでした。


その後、猿田彦(ここでは五穀豊穣の神として)の先導で御神田に向い、
御神田の榎の木の前で神事を行いました。


この榎、以前は子供が木登りをして遊んでいたほど大きな木だったそうですが、
10年ほど前に強風で倒れてしまい、新たに植えられたものだそうです。


早乙女による田植えが終わると
再び猿田彦の先導で神社に戻り、拝殿で田の神さぁの舞が奉納されました。


田の神さぁは左手に鍬、右手に鈴を持ち
背中にワラつとを背負い
田起こしから稲刈りまでを舞います。
拝殿という空間のせいでしょうか、とても幻想的な舞いでした。

お下がりに頂戴したお豆です。

豊玉姫神社の水からくり

【開催地】南九州市知覧町 豊玉姫神社
【演 目】「因幡の白兔」
【開催日】平成23年7月9日,10日
【指 定】国選択無形民俗文化財「薩摩の水からくり」
     鹿児島県指定有形民俗文化財「知覧の水車からくり」

7月10日 南九州市の知覧町にある豊玉姫神社の水からくりを見てきました。
これは水車を動力として人形を動かすという
全国でもここにしかない珍しいからくり人形で
「薩摩の水からくり」として国の選択無形民俗文化財になっています。

今年は卯年ということで演目は「因幡の白兔」でした。
上演時間は5分ほどですが、鰐鮫の背中を右から左へ飛び移る兔
鯛と格闘する釣り人の腕や腰の動き
神様たちの個々の様子がユニークだったり驚くほど緻密だったり
思いもよらぬところから登場人物が現れたりと
飽きずに何度も見てしまいました。

舞台下のからくりも一般公開されていて誰でも見ることができました。
コンピューターのない時代に小さな水車の動力一つで歯車やてこ、
重しを付けた糸を毎年演目ごとに組み合わせ、
人形個々の複雑な動きを演出する先人の技に感服しました。

ちなみに、現在は使用されている糸は漁網のようなものでしたが
昔はクジラの髭を使用していたそうです。

8月15日(終戦記念日)9時〜20時にも特別上演されますので、
興味のある方はぜひご覧になってみてください

浦島太郎像

「描かれた鹿児島の名所」展では、
絵画の他に鹿児島の名所にちなんだ焼き物も数点展示をしています。
その中の1点が美山の沈壽官窯で焼かれた白薩摩の『錦手浦島太郎像』です。(高さ25)

なぜ、浦島太郎が鹿児島の名所と関係があるのかというと…
実は、砂蒸し温泉で有名な指宿の南端 長崎鼻には浦島太郎伝説があるのです。
長崎鼻には竜宮神社もあり、その目の前の浜には今でも海ガメが産卵に来るそうです。
浦島太郎はその浜辺から竜宮(琉球という説あり)へ向かったそうです。
ちなみに、沈壽官窯は乙姫様を所蔵していらっしゃるそうで

いつの日か再会できるといいですね。
心なしか、浦島太郎の仕草が乙姫様を探しているような…

浦島太郎像

辻之堂の馬頭神

先日ご紹介した当館前の田の神さぁの隣には「馬頭神」の石碑があります。
馬頭神の石碑は家畜の健康と安全を願い、また弔うために建てられています。

ここ谷山は昭和40年代頃までは田畑が広がっていたそうで
きっとたくさんの農耕用の牛馬がいたのでしょう…。

しかし、10年ほど前に私が谷山に移り住んできた頃は
街並みは今とそれほど変わらない現代の閑静なこの住宅街で、
普通に馬が飼われていました。
普通の民家の庭先に、犬小屋に犬がいるように、馬小屋に馬がいました!
それも1件だけではなく複数件!!

最初私にとっては、かなり衝撃的な光景で
「農耕馬なんだろうか?ペットなんだろうか?」
「犬みたいに散歩をさせているんだろうか?」
「そもそも公道を歩けるんだろうか?」
と、頭の中を???が駆け巡りました。

地元の方々に「馬がいるんですね!?」と驚きを伝えても
「あぁいるよね。」
何驚いてんだ?という反応。
谷山の人にとっては違和感のない日常風景のようでした。
 
それもそのはず、
この辺り(永田橋のたもと)は伊作街道の宿場だったそうです。
永田川の川岸で馬を荒い、永田橋から現JR谷山駅方面の川沿いには
蹄鉄を打つ鍛冶屋や茶屋、車屋(馬車)が並んでいたそうです。
乗り継ぐための馬が沢山飼われていて、今も当時の小屋が残っています。

残念ながら、ここ数年どのお宅も馬を手放してしまい、
もう、この辺りで馬を見かけることはなくなりました。

焼物展示室企画展:「能野焼の窯印」展

能野焼きの窯印

 

ただ今、1階焼き物展示室では、ミニ企画展として「能野焼きの窯印」展を開催しています。

「能野焼き」は「よきのやき」と読みます。
種子島の上能野で焼かれていた焼き物で、残念ながら現在は廃窯となっています。
開窯はいつ頃なのか定かではありませんが、
苗代川系(伊集院美山)の陶工が渡って焼き始めたともいわれています。

作られた作品は日用品で、花瓶、塩壷、すり鉢、徳利、蒸し器、しびん、甕など様々です。
種子島の土は鉄分が多いそうで、能野焼は茶褐色、または暗褐色をしていて重厚感があり、
質実剛健といった感じです。
これらの花瓶や徳利、壷などの肩の部分に◎や+など刻印が「窯刻」です。
製品を焼くときに共同で窯を使用するので、
どの工房、またはどの作者のものであるか区別するための目印としてつけられてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

このミニ企画展では、能野焼に施された様々な窯印をご紹介しています。
能野焼きは形がいびつだったり(土質が原因でもあるらしいですが)、
手書きで描き直した窯印だったり、それでも良しとする大らかさがいいですね。
人々の日常に寄り添ってきた焼き物たちを眺めながら
当時の生活や陶工たちに思いを馳せていると時間が経つのを忘れてしまいます。

焼物展示室企画展:「能野焼の窯印」展
開催日時:平成23年4月2日(土)〜12月24日(土)

不思議可愛いダンゴウオ

本日は1冊の写真集をご紹介したいと思います。

タイトルは「不思議可愛いダンゴウオ」

先般の東日本大震災で甚大な被害を受けた
宮城県南三陸町志津川 在住の水中写真家 佐藤長明氏による志津川の海の写真集です。

志津川の海といっても、内容はタイトル通りほぼダンゴウオ。

このダンゴウオという魚、 私は写真集を拝見するまで知りませんでした。
恥ずかしながら最初「ダンゴウオ」と聞いて
食べられるんですか?」と聞いてしまったほど…

ところが、これまた食べるだなんて滅相もない!
と思うほど愛くるしく、表情豊かな魚なんです。
この写真集で、魚の笑っている顔を初めて見ました。

ダンゴウオは体調が1cm前後の小さな小さな魚なのですが、
その表情を見事に撮影している技術と観察力には脱帽です。

他にも、鏡に映っている自分に見とれているダンゴウオ。
泳がずにウミウシに乗っかって移動している無精者のダンゴウオ。
ひそひそ話を耳打ちしている、噂好きそうなダンゴウオ。
頭に天使の輪があるダンゴウオの幼魚、などなど
見ていると本当に心から癒されます。

しかし…残念なことに、志津川の海も壊滅的な被害を被ったようです。

この写真集に収められたダンゴウオたちは今、どうしているのでしょうか。

写真集の売り上げは、志津川復興のための義援金となるそうです。
心から癒されて、義援金のお手伝いもできます。
ご興味のある方は、ぜひお手に取って見てください。

美術館の休憩スペースと1階のカフェにも置いてますのでご覧下さい。

唐カラ船

【開催地】南さつま市坊津町泊地区公民館九玉神社
【開催日】毎年5月5日

毎年5月5日に坊津の泊地区で行われる「唐カラ船」を見に行きました。

子供の健やかな成長を願うお祭りで
稚児たちが新聞紙の兜をかぶり、車輪と猿の子を付けた唐船を引いて
泊公民館から九玉神社まで歩きます。

子供たちが小さいのと、人数が少ないせいでしょうか、
掛け声はテープで流していました。
(掛け声は「豊漁」を方言で言っていましたが、何と言っていたか忘れてしまいました…)

小中学生のお兄ちゃんたちが引くのは、もっと大きな唐船です。

神社に着くと稚児たちはお祓いをしていただき
女の子たちはお祓いが終わるのを待って奴踊りを奉納します。

女の子は唐カラ船を引いた男の子の後ろを歩いて神社まで行きますが、
その前を三味線と太鼓の道行囃子と笹を持った女性たちが歩いています。
この笹は「魔よけ」のために持っているそうです。

奴踊りが終わると、稚児たちは境内で唐カラ船を引いて競争です。
その後、浜へ下りてもう一度奴踊りの奉納と稚児の競争が行われます。

最後は海から投げられる紅白餅を頂いて終了です。

唐カラ船は親が子に作ってあげるもので
前はどの家庭にもあったそうですが、
今ではこの船を作れる方は1人しかいらっしゃらないそうです。

南さつまは他にも十五夜火とぼし、よっかぶい、水車からくり、上之坊の十五夜など
国の重要文化財に指定されている伝統行事が沢山あります。
詳しくは坊津歴史資料センター輝津館(きしんかん)で紹介されています。

これも鹿児島の名所です

ただ今当館で開催中の「描かれた鹿児島の名所」展では
鹿児島のシンボル桜島や風光明媚な観光地、
昭和初期の漁村風景など様々な鹿児島の名所を描いた作品を展示しています。

中にはこのような作品も。

これは前畑省三氏の地層シリーズです。
左の白っぽい作品「地層 合」は鹿児島のシラス層を描いています。
右の赤っぽい作品「地層 D」は「赤ホヤ層」を描いたものです。

鹿児島の名所とよぶには少々マニアックかもしれませんが
でも、これらの地層は鹿児島ならではの地層なんです。

シラス層はおなじみの地層ですね。
このシラス層、実は2万9000年前の姶良カルデラによる噴出物(入戸火砕流)の堆積物です。
長い年月をかけて桜島の降灰が少しづつ積もった地層ではないのですね。

もうひとつの「赤ホヤ層」。
これは7300年前の鬼界カルデラの大噴火による噴出です。
この時の噴出物は気流に乗って日本全国に渡って降り積もり
現在は考古学において年代指標となっている地層です。

前畑氏の作品は作家の目を通した表現なので
実際の地層を写実的に描いているわけではありませんが
作品を前にすると、地層の背景にある自然の脅威や時間の重みがしっかりと伝わってきます。

余談ですが…
当館から車で3分ほどの場所に
8000万年前の四万十累層群と阿多火砕流の堆積層が見られるようになっています。

谷山インターから伊作峠に向かって車で1分もかからない、右手側にあります。

とても巨大なのですぐに分かりますよ。
お近くへお越しの方はぜひ足を延ばしてみて下さい。

← この看板が目印です

花筏と花筵

この数日の風で、当館駐車場に咲いている桜『御衣黄』も散り始めてしまいました。
美術館の玄関先には散った御衣黄が舞い、噴水の水面にもたくさん漂っています。

眺めている分には、そんな姿も非常にきれいなのですが、
お客様や施設をご利用の方々が行き交う場所でもあり、お掃除をしなければなりません。
しかし、今朝の風は少々強く、ほうきで掃くそばから次々と桜が散ってきます。
噴水の循環口に溜まった花も、水を詰まらせてはならない為に取り除かなければなりません。

少し億劫になりがちなお掃除ですが、桜の花だと優雅な気持ちで出来るから不思議です。

散った桜が水面に浮かび流れて行くのを筏に見立てていうことば『花筏(はないかだ)』。
花の散り敷いたさまを筵にたとえていうことば『花筵(はなむしろ)』。

排水口に溜まった桜を取り除き、駐車場に散った桜を掃き集める度に
『花筏』と『花筵』という言葉を想い描きながら過ごす一日です。