田貫地区の二十三夜講(火の神講・おんなの講)

【開催地】鹿児島市喜入生見町 田貫地区
【開催日】毎年1月23日
【開催時間】 火の神講 
       16:00~ 瀬崎のアッカドン参り
       おんなの講
       18:00~ 田貫ゑびす館にて   
       19:30~ 神棚の宿移し

毎年1月23日に開催される二十三夜講。
先ずは瀬崎にあるアッカドン(火伏せの神)に火事から集落を守っていただけるよう参ります。集落の家々の屋根がまだ茅葺きだった頃に大火に見まわれ、以来集落が見渡せる高台にあるアッカドンに参っているそうです。
(元の場所はさらに高台)
田貫地区では炊事で火を日常的に扱う女性陣が担っているとのこと。

アッカドン参りが終わると、田貫地区公民館(ゑびす館)で男子禁制のおんな講が始まります。今年の参加者は13名。平成25年頃までは新しい宿主のお宅で開催され、昭和の時代は音楽を流して歌ったり踊ったりしていたそうです。現在は公民館でおしゃべりと食事がメインです。
ちなみに、16日は女人禁制のおとこの講が開催されました。
おとこの講、おんなの講はお伊勢講が始まりなので、それぞれ伊勢神宮の大麻(枚聞神社からの頒布大麻)を祀った神棚を輪番制で宿を移していきます。おんなの講が始まるまでに今までの宿主が神棚を会場に移しておきます。

懇親会の後は神棚を新しい宿主の家へ移します。
女性陣の神棚は男性陣の1/2くらいだそうです。
この日は雪がちらつく中、無事に新しい宿主さんがお迎えになりました。
宿主は毎月1日と15日にお米、塩、酒、榊を供えるそうです。

以前は家を新築した方、新しく集落に入った方が宿主となっていたようです。
過疎化が進み新しい宿主が見つからない集落もあるようですが、
田貫地区は少ない戸数ながらも今のところ輪番制で毎年新しい宿主のお宅へ移っているそうです。

田貫地区の「かっさど」(亥の日)

【開催地】鹿児島市喜入生見町 田貫地区
【開催日】毎年旧歴10月の最初の亥の日(2023年は11月13日)
【開催時間】 藁つと作り 
       11月10日 16:30~ 公民館(えびす館)
       かっさど   
       11月13日 16:30 公民館に集合
            17:00「かっさど」の餅をもらいに出発
            18:00 ワラつとに梱包
            19:00 えびす神社の藁つとの架け替え

鹿児島県内の各地でも旧暦10月最初の亥の日に
その年に収穫されたお米で餅をつき、田の神さぁに供えたり集落に配ったりする風習があります。
鹿児島市喜入町生見の田貫(たぬき)地区では「かっさど」とよばれ
中学1年生が頭となり、それ以下の子どもたちが集落内を餅をもらって回ります。
「かっさど」とは
「かっ=穫る さ=イネ科の植物 ど=時」で「稲を刈る頃」
という意味だそうです。

先ずは事前に集落内で調達した稲わらで「藁つと」を作ります。
この藁つとは、かっさどでもらった餅の中から一番立派な餅を3個包み、
生見漁港にあるえびす神社の松の木に掛けるためのものです。
ちなみに、田貫地区には田の神さぁはいないそうなので、
藁つとはえびす神社の1つだけ作ります。

藁つとにする筵を編むのは子供たちの仕事です。
先輩方に教わりながら、こもあみを使って幅80センチの筵を1mほど
上手に編んでいました。

藁つとを下げる縄は、今回は大人が作っていました。
この縄は架け替え用の予備も含めて4本作るそうです。

筵の中にいれる筒状の物はすでに藁つとの形状をしていますが、
これに餅を入れ、筵で包みます。
以前は筵で直接餅を包んで、もみ殻を入れて形を整えていたそうですが、
近年この筒状の形のものを中に入れることで、形を整えているそうです。

さて、「かっさど」本番は13日の夕方に始まります。
今年参加する子供たちは小学生3名でした。
田貫地区の5班を3人で手分けして回ります。(一人当たり30件ほど)
以前は子供たちだけのグループで回っていたそうですが、
少子化で一人ずつで回る状況になってしまったため
安全のために大人も付き添って回っていました。

餅をもらって回る際の歌や文句などは特にないそうで、
「かっさどの餅をもらいに来ました~!」と元気よく声を掛けていました。

本来は各戸3個ずつ丸餅を用意するそうですが、
近年は市販の四角餅やお菓子、現金で済ます家の方が多いようです。
昔はあんこ入りの餅をくれる家もあったとか。
餅を用意する家庭は不幸の有無など関係なく、
全戸が用意するものだったそうです。

担当地区を回り終わると公民館に戻って、
もらった餅の中で一番立派な餅3個を藁つとに包みます。

クライマックスは餅を包んだ藁つとを持ってえびす神社へ向かいます。
昨年のかっさどで掛けた古い藁つとを下げ、今年のものと架け替えます。
掛け終わると皆で手を合わせて終了です。
以前はこの餅を狙ってやってくる人がいたので一晩中見張っていたとか。

神社に餅を下げる理由は、農耕の神様が出雲へ帰るときの手土産だから、とのことでした。

錫山相撲と錫山の史跡

錫山相撲
【 開催地 】錫山公民館立神館(錫山児童クラブ) 相撲場
【 開催日 】毎年11月3日
【開催時間】午前10時~ 土俵開き児童
      生徒、親子の取り組み
      高校生(樟南、鹿児島実業、鹿児島商業)の取り組み
      昼休み休憩
      午後1時~ 相撲甚句
      赤ちゃん相撲、一般の取り組み
      午後3時~ 抽選会


11月3日(文化の日)に鹿児島市下福元町の錫山地区で錫山相撲が行われました。
1655年に鹿追原魑魅(かおうばるすだま)峠に錫鉱山を発見し開発した
八木主水佑元信(やぎもんどのすけもとのぶ)が、1677年、同地に祀った山神を現在地(大山祗神社)に遷座し、奉納したのが錫山相撲の始まりといわれています(谷山市誌参照)
最盛期には年4回、その後年2回となり、現在は11月3日の年1回行われています。
地元の方によると、戦時中も中断することはなかったそうで、今年で362回目を迎えました。

大山祗神社で取り組みを待つ高校生力士たち

大山祗神社の境内には八木主水元信を祀った八木神社もあります。
こちらは錫山鉱山発見300年祭(昭和31年12月17日)に建立され
翌昭和32年鎮座祭が執り行われました。(谷山市誌参照)

こちらの黄色い装束の行司さんは立行司で、御年89歳とのこと。
まだまだ声にも張りがあり、足さばきも見事でした。

相撲観戦の後は、久しぶりに女郎墓へ。
当時、山師の慰安として連れてこられた女郎さんたちのお墓です。
地元の方々が定期的に草刈りなど手入れをされているようです。


以下は、今年の5月に教育委員会の許可を得て、専門家の先生と見学した時の画像です。




精錬場跡

風呂跡
坑道から出てきてすぐに風呂に入れるのは、鉱物の持ち出しができないように、
という目的もあるそうです。

しめ縄作り

先週、西谷山の堂園地区公民館で行われたしめ縄作りに参加してきました。
(主催:いちょうおたっしゃ倶楽部)
同地区の田んぼで収穫した稲わらを使用して、毎年各家庭用のしめ縄を自分たちで作っているそうです。

稲は昔から比べると品種改良がすすみ、風雨に強くするため背丈が低くなっているそうで、
機械で刈ると短くなりしめ縄作りに適さないので、この日のためにわざわざ手作業で稲を刈ってくださっているとのこと。

稲束からしめ縄に適した稲を選別し(ここで約1/4ほどになる)、霧吹きで水を含ませてから、槌で叩いて柔らかくほぐして準備完了。

慣れていないと一人ではなかなか練ることができないので、二人ひと組で練っていきます。

慣れている方は、足に挟んで上手に練り上げていきます。
神様用は左巻き、一般用は右巻きで作ります。


わいわい楽しく、個性たっぷりのしめ縄に。

縁起物の飾りをつけて完成です。


最後に地域の水神様と馬頭観音様のしめ縄を掛け替えて、今年のしめ縄作りは完了しました。
地域でそれぞれ個性にあふれたしめ縄を見られるのも、お正月の楽しみですね。

妙音十二楽

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【 開催地 】日置市吹上町田尻 中島常楽院
【 開催日 】毎年新暦10月12日
【開催時間】
午後1時~1時45分 妙音十二楽法要
午後1時45分~2時 奉納さつま琵琶
午後2時~2時15分 宝山検校墓前供養
【 指 定 】
妙音十二楽 鹿児島県指定無形文化財(芸能)
中島常楽院 鹿児島県指定記念物(史跡)
薩摩琵琶  鹿児島県指定無形文化財(芸能)

10月12日、日置市吹上町の中島常楽院で妙音(みょうおん)十二楽が行われました。

妙音十二楽は、1196年島津氏初代忠久に従って京都から薩摩に下ってきた常楽院第十九代住職 宝山検校(ほうざんけんこう)によって伝えられたとされています。
琵琶、笛、太鼓、手拍子、妙鉢(シンバルのような打楽器)、銅鑼、大法螺、小法螺の8種の楽器で演奏されます。
盲僧が琵琶の伴奏で釈文を読み続け、釈文の節ごとに合奏が入ります。
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『続 常楽院沿革史』によると十二楽には「松風」「村雨」「杉の森」「軒ノ水」「五調子」「忘れ撥(ばち)」「七つ撥」「八つ橋」「六調子」「盤渉(ばんしき)」「鳳の声」
「後生楽」の十二曲が伝えられているそうです。

釈文は「うちまき」「年号」「妙音の巻」「わたまし」「釈迦の段」「琵琶の釈」
「はんごんの釈」「本経(ほんぎょう)」「夢の段」「星の段」「回向」の十二種だそうです。

参考:妙音十二楽保存会発行資料

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妙音十二楽の後に、中島常楽院が発祥とされている薩摩琵琶の演奏がありました。
仏堂の宝山検校に向って演奏されるので、見学者は演者の後ろ姿を見ながら聞くことになり
とても新鮮な経験でした。この日演奏された「蓬莱山」という曲は「君が代」のもとになったといわれているそうで、確かになじみのある歌詞がところどころうかがえました。

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境内の仁王像には、近くの大汝牟遅神社(おおなむちじんじゃ)と同じように貝殻が供えられていました。吹上浜の砂は盛られていませんでしたが…。

帰りにその大汝牟遅神社へ寄ったところ、大クスの鳥居が経年劣化で危険とのことで撤去する瞬間に居合わすこととなりました。
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鳥居を再建する予定は無いとのことで、最後の姿を目に焼き付けることができました。

鹿児島の十五夜行事

19日は各地で十五夜行事が行われました。

鹿児島では,一般的に十五夜の夜は綱引きと相撲が行われます。
南さつま市のように独特の風習がある地区もありますが,
一般的には各家庭でお供えをして,地区では綱引きと相撲をします。

当館のある谷山の辻之堂地区はどのような十五夜が行われていたのか
地元の方に伺ってみました。

まずお供えですが,臼の上に農具の箕を置き,そこに季節の果実や月見団子
ススキや萩の花を供えます。
鹿児島独特のお供えは,升に乗せられた里芋の親いもです。
これは子孫繁栄の願いが込められており,
現代でも変わらず供えられています。

行事の方ですが
戦前までは辻之堂地区と隣の原口地区と合同で十五夜行事を行っていたそうです。
辻之堂は昭和30年代まで水田が,原口地区は畑が広がっていましたので
十五夜の時期は辻之堂の稲わらで綱引きの綱を練ったそうです。

十五夜の縄練りは南さつま市で今でも見ることができますが
ここ谷山麓地区では綱練りはもう行われていません。
綱練りはやぐらを組んで,そこに綱を掛けて練っていく作業です。
綱練りと綱引きを行っていた場所は当館の東よりの麓地区との境あたりだったそうです。
綱引きは大人も子供も参加して,唄を歌いながらにぎやかに行われていたそうです。
ちなみに,辻之堂と原口地区の十五夜行事に相撲はなかったそうです。

(綱引きと綱練りが行われていた通り)

面白いのは,通りをひとつ隔てた麓地区(郷士居住地区)では
稲わらが地区内で手に入らないことから
十五夜はお供えをするだけで綱引きや相撲などは行われなかったそう。
違う地区の行事には参加資格がないので
いつも辻之堂と原口の綱引きを見学だけしていたのだそうです。

綱引きを終えた後の綱は,50センチほどに裁断し,
馬や牛のエサ,燃料にしたそうです。

ちなみに坊津の十五夜綱引きは有名ですが
漁村なので稲わらではなく茅で綱を練っています。
終わると50センチほどに裁断し,翌日入札が行われ
落札された茅の綱は畑の堆肥になるのだそうです。

戦後は小学校のあいご会が主催となって十五夜行事を行うことになったので
麓地区でも公民館で綱を練って,それを小学校まで引きずって辻練りをして
綱引きと相撲を取っていたそうです。

以下は谷山観光協会が発行している「谷山の歴史と文化財」より
谷山の十五夜綱引唄(作詞 黒木弥千代氏)をご紹介します。

綱はサーヨン サーヨン サーヨンヨイ
今年は十五夜ん綱は三十三尋半(ぴろとかけ)
揃ろた揃ろたよ 引き子が揃ろた
稚児は鉢巻き おごじょはたすき
月は出た出た東の空に
十五夜お月様今出やった
月の光にチンチロリンがおらぶ
まぎれまぎれよ一本松まぎれ
蛭子塞神(えびすさいのかみ)さんにお願をかけて
今夜の綱引きは柳右衛門さんに見せろ
臼に箕を乗せ お餅をそえて
魚もとれもした 港は祭り
月の七つ島 流しの夜船
飲めや歌えや お月さんも踊れ

南薩摩の十五夜行事「上ノ坊の火とぼし」


【開催地】南さつま市坊津町上ノ坊地区 坂之上、上ノ坊公民館
【開催日】毎年旧暦8月15日 午後7時頃
【指 定】国指定重要無形民俗文化財「南薩摩の十五夜行事」

9月15日南薩摩の十五夜行事の一つ「火とぼし」が行われました。
本来は十三夜から十五夜までの3日間行われるものだそうですが
現在は人手不足のため十三夜だけになったそうです。


夕方から茅とダンチク(上ノ坊では‘ダレッガヤ’という)で
「バンガヤ」と呼ばれるものを作り、集落の道端へ置いていきます。
子供用と大人用があり、大人用は200キロはある、らしいです。

日が暮れると火とぼしが始まります。
場所は坂之上の呼ばれる集落と海が一望できる高台です。

火とぼしで使用する松明は、ダンチクを半分に割って寄せたものに火点け用の枯葉を詰め、
茅で練った縄でしばります。
神様の注連縄が左巻きなので、ここで使う縄は右巻きに作るのが決まりだそうです。

現在は集落の大人たちが松明を回していますが、
本来は‘大人’に昇格した15歳を含めた青年の役目。


14歳以下は椿の枝を持って、降り散る火の粉の消火隊です。
昔は14歳の中から1人だけ火とぼしが許されたそうで、
選ばれた14歳は鼻高々だったそうです。

火を回しながら
「十四は甘かで(半人前だから)火をまわせ」「火は見えたかー」と唄います。
この歌は「十四は甘かで塩まぶせ」という歌詞もあったので、
今年から「火をまわせ」に統一したそうです。
こういう唄は文字でなく口伝なので、少しずつ変化していくのでしょうね。

火とぼしが終わると、先ずは14歳以下の子供たちが唄いながら
子供用のバンガヤを担いで坂を下ります。

その後大人たちが大きなバンガヤを4〜5人で担ぎ、
上ノ坊公民館までの坂をバンガヤを担いで一気に登るのがクライマックスです。

本来このバンガヤは還暦を迎えた男性が担ぐらしいのですが、今年は男性が足りなく、
この行事が始まって以来初めて女性が加わっていました。

時代とともに祭りの形態は少しずつ変わっているようですが、
今後も伝承者が絶えない事を祈ります。

余談ですが、
以前この十五夜行事の中には15歳以上の青年に唄い継いだ歌がいくつかあったそうですが、
その内容は、いわゆる大人の仲間入りをした男の子への性教育なので、
最近は父兄からの苦情により伝承を止めたそうです。
昔の15歳が残念そうに話してくれました。

 

ヨッカブイ(高橋十八度踊り)


【開催地】南さつま市金峰町高橋地区 玉手神社
【開催日】毎年8月22日 午前9時頃
【指 定】国選択無形民俗文化財「ヨッカブイ」
     南さつま市指定無形民俗文化財「高橋十八度踊り」

8月22日南さつま市の金峰町高橋地区で、水難除けの祭り「ヨッカブイ」が開催されました。
この変わった名前は「夜着被り」が転じたそうです。

4〜6歳の男の子が扮する小ガラッパ(小河童)が高橋公民館から玉手神社まで練り歩き、そのおはやしとして地域の青年が夜着をまとい、シュロで頭を覆った大ガラッパ(河童)に扮します。

大ガラッパは手に持った笹で人々の頭を撫で水難を祓います。
子供たちは大ガラッパによって穀物袋に入れられ、玉手神社の水神前にある土俵まで持っていかれてしまいます。(時には小柄な大人も!)
悪い事をしないよう諭しているのだそうです。

神社では子供の悲鳴と泣き声、大人の笑い声が響き渡る中ガラッパ相撲が奉納され、
最後に大ガラッパが十八度踊りを踊ります。

これはヨッカブイが開催される高橋地区にある「矢石」です。
高橋地区の北東にある金峰山と南西にある野間岳は仲が悪く、
時々喧嘩をするらしいのです。
喧嘩をして野間岳が金峰山に向かって投げた矢石は届かず、
ここに落ちて刺さったのだそうです。

どちらも神社の御神体になっている山ですが
意外と大人げなくて、親しみを感じますね。

久見盆踊り【想夫恋】


【開催地】薩摩川内市 久見﨑(慶長征韓碑の広場)
【開催日】毎年8月16日
【指 定】鹿児島県指定無形民俗文化財

8月16日、薩摩川内市の久見﨑(ぐみざき)で「想夫恋」がありました。

「想夫恋」とは、保存会の資料によると、慶長2年(1597)島津義弘は当時の軍港だった久見から朝鮮半島に出陣しましたが、翌年多くの犠牲者を出し引き上げました。その後、義弘の子 家久がこの戦いで戦死した敵、味方双方の霊を慰めるため盛大な慰霊祭を行い、その時地元の未亡人たちが帰らぬ人となった夫たちを悼んで踊ったのが始まりだそうです。

踊り手の女性たちは、頭にお高祖頭巾を被り、浴衣に男物の黒紋付の羽織を着て、背中には脇差を差しています。この羽織と脇差は夫の形見を意味しているそうです。

踊りは哀調を帯びたゆったりとした踊りです。

「想夫恋」
盆の十四日に踊らぬ人は 木蓮尊者の掟に背く
殿のためなら涙は出でぬ 御霊祭りに盆踊り
切って供えし緑の髪は  亡夫も見てたも眉の露
お高祖頭巾に腰巻羽織  少しお顔を見とうござる
先を争うつわもの共が  鉄で固めたこの身体
盆の十四日の夜明けの鐘は あの世この世の扉が開く
寝ては考え起きては想う この身終わるまで君のため

正五九の引っ越し

当館近くのJR沿線では、区画整理に伴う引っ越しでみなさん大忙しです。
特に4月は翌月が正五九(しょうごく)にあたるので
月内に引っ越しできるよう頑張って準備されています。

正五九とは正月・五月・九月のことで
鹿児島では引っ越しをしてはいけない月とされています。
理由は諸説ありますが、旧暦で考えると5月、9月は田植えと刈入れの農繁期。
地域の人手を借りる事は、正月と農繁期は控えましょう、ということではないでしょうか。
(地域によっては結婚式も控えるところもあるので)

しかし、農業のサイクルとは関係のない生活を送っている現代では
なかなかそういう訳にもいきません。
そこで、どうしても正五九に引っ越しをしなければならない時は
前月に世帯主が新居に行って、履いて行った靴を置いてくると
その時点で引っ越ししたことになるようです。

鹿児島は今でも正五九月には引っ越しは減るそうですので、
気にしなければ仏滅の結婚式のように、案外狙い目なのかもしれませんね。